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日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

山からのたより  その20  2015年秋の巻

山からのたより  その20  2015年秋の巻

      がんばり「じろべえ爺さん」                   池谷キワ子

今秋も災害の多発の季節になりました。清水茶寮関連のみなさま大丈夫でしょうか?
今回の「山からのたより」その20は、我が家の先祖のことです。
といっても普通の人の話なので、山村の昔人の一例として読んでみてください。

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(「キバナアキギリ」 サルビアの日本原種だそうです (15年9月21日)

養澤という集落のもっとも下(しも)の本須(もとす)部落に私の生家があります。
「先祖代々林業を専業にやってきました」といつもはなしていますが、
正確には私より五代前の当主「池谷治郎平」(いけたにじろべえ)((1807~1900)から
専業になったようで、それまでは規模がごく小さい農家林家でした。
治郎平は百姓をしながら「馬搬業」で小金を溜め、「零細金融業」を営んで林地所有を
すこし広げていったのです。
「自らが植えた山を横目で見ながら、汗を流して馬を引き労働に励み」
(郷土史研究家・石井道郎氏資料)94歳まで生きたのでした。
それからの子孫は林業を主業とする専業林家として、「じろべえ90(くじゅう)爺さん」と呼んで、
彼の植えた木々を売り、跡地に植林して生計を立てるようになりました。

『我が国経済の担い手』(太田研太郎著・昭和24年発行)に青梅林業地のY(養澤)集落I家
として登場しているのが私の家です。そこには畑作高まで微細な収入まで盛り込まれていて、
初めて私は、家の歴史、昔の経済状態を知ったようなものでした。
実はこの本は我が家に存在せず、16年前に東大の筒井迪夫先生が森林視察に訪れて
初めてこの本の存在を知りました。林業図書室というべき文庫が赤坂・三会堂ビルの地下室
にあり、発行から50年して初めて読みました。作者はあけすけに我が家の事情を公開して
しまったので、この本を送付できなかったのではなかったかと思われます。
思い切って著者である晩年の太田先生を訪問したのは15年前です。
昭和23,4年に作者の太田先生にお貸ししたたくさんの記録データがもどってこなかったという
経緯もあって「ご返却いただけないか」とお願いしましたが、
「年月が経ち、手持ちの膨大な資料にうずもれてどこにあるかわからない」というお返事でした。

この本によると、「じろべえ(治郎平)爺さん」は「体躯壮健の偉丈夫」、
「衆望を担って養澤村戸長を勤めた」と書かれています。
最晩年には、朝暗いうちから廊下に座り込んで山で働いてくれる人の挨拶に相好を崩して
いたそうで、「起きたらすぐ顔も洗わず池谷へ山行きの挨拶に行き、それからゆっくり朝食を
摂ったものだ」というエピソードも残っています。

「夫婦揃って山麓から土を運んで岩ゴロの奥地にまで植林した」とは祖父からの話です。
「植林した」と一言でいいますが、薪炭林である広葉樹林を切り払らってスギ・ヒノキの人工林
を作るのは拡大造林と言ってたいへんな労作を要します。

「じろべえ」は肖像画も写真も残っていません。
そうした先祖から代々山林を引き継ぎ植え替えてきた我が家です。逢ったことのないこの先祖を、
私は林業をするうちにとても親しく感じるようになりました。

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(寫眞は「じろべえ」が晩年に建てた門と蔵。明治20年ごろ、向う山は一部が所有林)

「じろべえ」は、息子が自分より先に身罷ったため、孫の精一(初代・私の曽祖父・安政3年生れ)に
林業の薫陶を授けましたが、精一は60歳で他界。

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「池谷精一・初代」画(1856~1915曽祖父)

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「祖父、池谷精一・二代目と父、池谷秀夫、大正11年1922撮影」(1882~1960)(1909~1991)

その彼ももっぱら山づくりに励み、祖父の精一(二代目)(明治15年生れ)、父(明治43年生れ)と
順次これを受け継ぎました。明治34年死去した「じろべえ」と私の祖父・精一(二代目)は
20年近く共に生きたのです。どんな人だったかもっと聞いておけばよかったと思うことです。
「じろべえ」ら先祖の植えた木を、「一本でも多く山に残しておく」のが我が家の家訓となり、
つつましく他業に乗り出さずやってきたのでした。家業を林業だけに絞ったということで、
ここ3,40年来の林業不況により面積広く伐り進まねば手入れが追い付かず、
林齢が平準化(法正林という)していた森林構成が、私の代ではすっかりぐらついてしまいました。
1986年の大雪害でさらに拍車がかかりました。

すぐの裏山には「じろべえ」が植えた140年生の林地が少しあり、そうした残された古い木たちは
ものいわずに昔を今につたえています。スギ・ヒノキは植えられてから一歩も動けない、
あてがわれた場所の条件に合わせて懸命に生きている、そのようすが山に長くかかわると
ひしひしと感じられることです。

「じろべえ」はまた、山に「すもも」も植えて、自ら八王子へ運び、それが評判を取ったらしく、
その林地は「ももの窪」と呼ばれてきました。「すもも」の残りの一本が我が家の裏庭に
植わっていました。外皮はうす緑なのに剥くと真っ赤に透き通った果肉は甘く、夏に鈴なり
に実るのでしたが、十数年前、さすがに老化が激しくなって切り倒しました。

昔の人は子孫の繁栄を願う気持ち、地域の発展を望む思いが今の時代の人よりも数段に強かった。
つい忘れていることですが、子孫の私たちはもっと感謝しなければならないのでした。
林業をやる者、自然にかかわる者は、自分の存在しなかった過去に思いを馳せ、自分の去った後の
未来を思い描く能力がより強く求められているのでしょう。
時代を超えた長い水平視野を持つことは、ビジュアル化された現代、かえって能力が落ちている
分野のような気がしてなりません。いま特にそれが求められている時代かと思います。

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(「じろべえ」が明治初年ごろ植えた裏山のスギ、140年生。ピンクの花はシュウカイドウ)
(15年9月21日撮影)
  1. 2015/09/25(金) 08:43:42|
  2. 山からの便り

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Author:せいすいさりょう


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