山からのたより その19 2015年夏の巻
養澤の山はこれから? 池谷キワ子
清水茶寮ホームページの読者のみなさま、こんにちは。
またご無沙汰してしまいました。
人は齢を重ねるにつれ、四季の巡りが足早となるとは誰でもいうことですが、今年の
ように寒さから暑さがひとっ跳びだと、ふと気が付くといつのまにか夏が来ていた
といった感じです。
そして梅雨に突入でした。
7月になるころ養沢川ではホタルが舞いだし、ネムの木が夢見がちなあわいピンクの
花に覆われます。
ホタルブクロの薄紫の筒状の花はその名にぴったりです。
川沿いの「ささんた小屋」の斜面にはヤブカンゾウが橙色に咲き出し、ホタル見物に
最適の場所となっています。
でも、今年はさらに、前回に紹介した「ゆうさんち」がもっと目近に川面のホタルが
見られるようになりました。

(ネムの木と養沢川6月29日)
林業は商品ができるまでにこのあたりではだいたい70年かかります。
ちょうど終戦のころ植えた木が、今やっと伐り出せる時期を迎えています。
ところが材木価格は大幅に下落したままで推移しています。
養澤では、山に林道や作業路が入っていませんから、架線集材と言って山の斜面の
空中にロープを張ってトラックに積める道端.まで木材を下ろす出材です。この方法では
経費が掛かり、丸太市場で材を売っても、その手間賃だけで売上が消えてしまうのです。
この地域は林地が小刻み所有で、地形が複雑に入り組んでいるからです。
そこで林業者同志が手を組んで協力しあう「集約施業」をしていきなさい、林道や作業
路をつなげてつくり、山から木を伐りだすコストをさげるようにしなさいと、ここ数年間、
林野庁からの指導が続いています。
でも私たち養澤地域は小規模所有者ばかりでこの取組みが進めにくい現状でした。
そこに登場したのが築地豊さんです。彼は森林ボランティアから作業のプロに転向して
十数年。最近になって林業の仕事を請け負う、一般財団法人「木の和(このわ)」を作り、
養澤地域を中心に林地を所有する山主さんに賛同してもらって、林野庁の進める集約
施業を展開しはじめました。
築地さんという第三者がわかりやすく熱心に説明するので信頼が徐々に得られてきて、
3年近く経ち、15人ほどの所有者が賛同してくれています。
林業離れが加速する今、私はこの方法に「林業の未来がある」とたいへん期待してい
るところなのです。

(写真↑伐採する築地さん ↓昨年造成した作業路。林内に延ばして出材をしやすくする)

養澤では、江戸時代の終わりの頃から、天然林を伐採してはスギ・ヒノキを植樹して
人工林の林地を増やしてきました。寒村で山林しか暮らしに役立てられる自然はなく、
各家は、薪炭用の広葉樹林をスギ・ヒノキ林に仕立ててきました。
これは拡大造林といって大変な労作がかかります。
自分の生きている時間のうちには収穫できないという性格の仕事なのに、汗水たら
して子孫のためにと頑張った先祖たちです。
さらに「共有林」という、何人かで共同出資して林地を買うか借りるかし、苗を求め、
力を合わせて手入れに励み、育ててきました。
養澤地域は一人の力が弱かったためか、手を携えて励む気風があり、たくさん
「共有林」があるのです。でも、その地権者が相続や登記の手続きをやってこなかっ
たために、いま私たちの抱える大きな問題となっています。
戦後はとくに、燃料革命など森林を取り巻く状況が急激に変貌しました。
長い時間を必要とする林業、急に手の平を返すように造り直しはききません。
そしてやり直したとしても、それが成熟したあかつきにはどんな結果になるか分かり
はしないのです。だから林業は、不況のときも繋いでいくことなのでしょう。
どんな好景気の時代でも、木は同年輪しか刻まない。
肥料をやって早く肥らせたりすると建築に向かない力の弱い材に育ってしまいます。
人間の事情など関係ない、ほとんどを自然界にゆだねた仕事です。それでも、適時に
手入れをしないと枯れたり曲がったりですし、時には雪や台風で林が折れ裂けてゴミ
と化してしまうこともあります。 ↓

(↑このまま放置すると曲がり木になる 10年生ヒノキ林 )

(↑1986年の激甚災害となった雪害 池谷山林 撮影池谷キワ子)
今回の山からのたよりはちょっと理屈っぽいですね。その上、以前に書いたことと
ダブった内容もあります。
ただ養澤の林業に薄い光が差し始めた「集約施業」、これからです。
続きを書きたいと思う日が早く到来してほしいと願っています。
- 2015/07/10(金) 08:50:15|
- 山からの便り
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