山からのたより その17 14年冬の巻 リーダーOさんのこと
池谷キワ子
おたよりがまた滞ってしまいました。
10月には白井啓子さんが初めて養澤の山を訪問してくださり、初対面を果たしました。
ここ何年も清水茶寮ホームページに書いてきましたので、私には旧知の方のように
思えた出会いでした。でも、その時の模様はすでに白井さんが書いていますから、
ここでは詳しい報告はなしにします。
いままでのおたよりで、山のよさばかり書いてきましたが、実際、森林に足を踏み入れると、
朽ちた枝葉や倒れた木々が散乱している場所もあったりして、
養澤の森は「絵のようにきれい」ではないことが白井さんもお分かりになったことでしょう。
「そらあけの会」は、15年余り前、主婦4人で始めた森林ボランティアグループです。
リーダーのOさんは羽村市在住、その時50歳ぐらいでしたか、蔓を編んで大きな籠を作ったり、
援農に行ったり、たくさんのことを精力的にこなしていました。
雪害で森林がめちゃめちゃになっている現場を見学して林業の現状を知ったといいます。
多摩の森林は、戦後の拡大造林でたくさんの人工林が造られ、その後の材価の下落続きで、
手入れが見放されてきました。
そうなると、水を育んだり山崩れを防いだりの役目も果たしにくくなります。
1999年スタートの「そらあけの会」は、月2回の月曜日に15年間、休むことなく下刈り、枝打ち、
間伐、などの山作業を続けてきました。それはOさんの説得力ある話しぶり、なんでも率先垂範、
みんなを思いやる心、リーダーシップがあったからでした。
今では会の宝物のような存在です。その後は男性会員も増えて今では15人ほどの参加です。

(枝打ち林地で話をするOさん。手前左)
千葉で育ったOさん、若い日々はテニス三昧だったそうで、体力抜群です。
作業林地に到着したと思ったらもう、休憩場所のあたりを鎌で切り払い、唐鍬(トンガ)で整地し始めます。
みんなが居心地よく過ごせるようにいつも心を砕いてきました。
両方のお母さんのお世話のため、ここ数年は、実際の代表の座を降りています。

(山から材を切り出すそらあけの会、みんなで皮を剥きました。次ページの写真)
ところが昨年、山仕事のプロで、初期そらあけの会の師匠だった
「ユウさん」の家が売り出されたのを受けて、Oさんはセカンドハウス用にと購入して改築。
ボランティアの憩いの場所としても解放してくれています。
そらあけ道具小屋からも、川を隔てて真向いです。居間は内装が地場の板で新しくされ、
目の前には養澤川が窓を通してワイドに広がり、まきストーブが燃えて、そらあけメンバーは
大喜びとなりました。
ユウさんも天国で、素敵に生まれ変わった我が家がみんなに使われていることに、
さぞ目を細めているに違いありません。

(磨き丸太が玄関の桁と柱になりました。ここの網戸も木枠です)
Oさんの山へ注ぐ気持ちは限りなく広がっていて、
先代の人々が造ったスギヒノキの多い多摩の山を健全に整備したい、それには地場の木を
もっと使ってもらうことだと、「ゆうさんち」と名付けたこの家の目的のひとつにしています。
そんな「山の応援団長」であるOさん、ご家族と折り合いをつけながら、これからも周囲のため、
養澤集落のために元気で活躍してほしいとみんなが願っているところです。

(「ゆうさんち」の庭で玄関用の柱の皮を剥く、バックは養澤川と堰堤)

(雨戸も板製の手作りです。ベンチを造る会のメンバー)
- 2014/12/16(火) 16:49:08|
- 山からの便り
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