山からのたより その28 2019年冬の巻
昔の人が甦ってくる 池谷キワ子
清水茶寮のみなさま、いつもこのページに書かせていただき嬉しく思っています。立春を
過ぎて気温の差が激しく、冬もまだ居座っていたいようです。空の狭い養澤は日照時間も
短いのですが日脚は隔日に伸びてきています。

(春一番に咲くフクジュソウ)
昔生きた人が再び今の時代に甦るということがあります。前回の「その27五日市憲法」に
登場した千葉卓三郎や深澤権八は、50年前の憲法発見時に現れてきましたし、また近年、
皇后さまの五日市憲法への評価のお言葉や新井勝紘氏の関連新書発刊で世の話題となり、
二人を再来させました。歴史上の人物は、その時代の価値基準で、評価が上下しますが、
千葉と深澤は脚光を浴びる毎に輝きを増し、評価が上昇しているのは確実です。
羽村市では、千葉卓三郎たちの五日市憲法ストーリーをDVDに撮り、中学生には社会科
の副教材として地域におこった歴史を身近に感じてもらおう、市民には、いま目前の案件
になっている憲法改正について考えを深めてもらおうという試みをはじめました。この二人
が今の世に戻ってきて現代の女子学生と話す設定だそうです。4月に完成するのを楽しみ
に待っているところです。
ところで私の卒業した養澤近くの「小宮小学校」は、学童数が減って創立138年で数年前
廃校になってしまいました。郷土史研究家の石井道郎氏から「小学校前の『若松屋』って
なぜその名なのか知っていますか」と問われ否でした。
お話しによると、明治六年「日新学校」の名で開校した小宮小学校は、当初の校長が『名
校長として村民に厚く尊敬された堀内瀧江先生』(五日市町史)でした。堀内は元会津藩
士で戊辰戦争に敗れて単身この地に移り住んだのです。ずっとこのあたり唯一の店だった
「若松屋」は、この家の住人だった堀内が会津若松の出身だったことから、譲り受けて店を
開いた当主が命名したのだそうです。子供時代の私たちは、常時たむろして文房具をはじ
め日用品を買い求めた懐かしいお店です。堀内瀧江の大きな顕彰碑が旧道脇にあるのを
最近知って、当時の村民の深い感謝を知りました。それなのに後日この学校に学んだ私た
ちが、彼の献身ぶりを何ひとつ知らされてこなかったのはどういうことでしょうか。会津の悲
劇があった戊辰戦争では多くの会津藩士たちが各地へ散ったのでした。堀内瀧江について
はこれからも調べていくつもりです。すぐ足元におこった歴史を知らず、「廃藩置県」とか「大
政奉還」とか「字づら」だけの勉強だったと思い知らされることです。

(「堀内瀧江」顕彰碑・裏面に瀧江堀内とある・高さ約3メートル・乙津竹淵の忠魂碑の左)
明治2年には国の奨励した「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)で、私たちの養澤村ではお寺
「養澤寺(ようたくじ)」を捨てました。多くの過去帳や仏さまも川に流したそうです。建物は
その後学校のひとつになり、今は自治会館になりました。それ以後神道です。
仏教を捨てなかった乙津村と合併して、明治20年ごろ小宮村は生まれました。西多摩一帯
が、神奈川県から東京都へ移管されたのもこのころでした。自由民権運動の広まった五日
市憲法誕生の14年のころから、大日本帝国憲法の発布の22年へは思想的なことが極端に
動いていた時代でした。

(養沢寺の敷地。歴代の住職の墓跡が放置されていたが再建された)
もう一つお伝えしたい養澤の歴史があります。江戸時代中期のこと、五日市村と養澤村の
紛争です。まだ養澤の山は雑木林が主体で、薪炭を五日市の市(五の日に立つ)で売りさ
ばいて生活を立てていたころ、市の運営で力を得た炭問屋たちに養沢の人々は牛耳られ、
薪炭の値段を低く抑えられたうえ、得たお金で買わねばならない油などの日用品は高騰
したのでした。「これでは生きていけない。集落全体で夜逃げするしかない」と訴え出ました。
「少しは値のいい五日市の先の伊奈の市にださせてくれ」とか「養澤の馬(振り分け荷物で薪
炭を積んだ)は横根峠を越えていくのだから、五日市から伊奈への権田坂などものともしな
い足腰強さだ」と切々と何度も訴えるのでしたが、権力を握った五日市に押しかえされてしま
います。当時の訴状がいくつも残っているなかに、我が家の祖先、年寄「次郎右衛門」も名を
連ねていて、この事件が我がことのように私には身近に感じられるのです。
スギヒノキを育成して商品にするのは、薪炭林よりさらに多くの年月を要するけれど、雑木林
を切り開いて人工林として造林にしていけば、子孫が少しでも潤うのではないかと、周囲の集
落より早く養沢が試み始めたのは、この訴訟にまつわる苦い経験があったからでした。また、
一致団結する力を強めて、共有林をたくさん作ってきました。だが、いまではこの共有林システ
ムが足枷(かせ)になっています。この理由はまた別の稿で触れます。
昔を知るたびに当時の人々が再来するのを感じるのです。

(養沢・怒田畑ぬたばた集落)
- 2019/02/14(木) 21:17:23|
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