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日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

山からのたより  その24  2017年早春の巻

山からのたより  その24  2017年早春の巻

        山の男「ユウさん」       池谷キワ子


清水茶寮ホームページの読者の皆様お元気ですか。
東京エリアはここ一か月半ほど雨が降りませんでしたから、先日の久しぶりの雨は慈雨そのものでした。
早春の雨は命をはらんで大地に降り注ぎます。
これで春の芽吹きがいっせいに立ち上がるのです。
養澤ではこんなとき、「よいお湿りでしたね!」と声を掛けあって喜びます。

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人生のほとんどを山仕事で生きてきた「ユウさん」についてが今回の話題です。
いままでも「山からのたより」に登場してもらっている「ユウさん」。
何十年も我が家の林業の現場主任として、数名を率いて山に入ってきて、
最後は父の跡を継いだ私のもとでたった一人、一手引き受けで森林ボランティアの指導にも当たってくれました。
父が26年前に去った後、林業の不況は一段と進み、森林が販売しにくくなって、専従者を雇いきれなくなりました。
さらにユウさん亡き後は、作業手入れ会社や森林組合の最小限の手入れをお願いし、
不足を森林ボランティアの「そらあけの会」や「林土戸」グループに補ってもらっている現状です。
とにかく、父亡き後10年ほど、「ゆうさん」と私でコンビを組んで山の手入れに勤しんできたのでした。
「どっちの林地から先に手を付けようか?」「あそこは蔓も絡み、ひどいヤブ状態になっちゃているよ」
「こっちこそ放っておくわけにはいかねえなあ」「枝打ちは待ってくんねえし」。
検討し、現場へ行って見分して、私たちはいつも、仕事に追いかけられていました。
夏の間に終わらせるべき下刈りが、秋になっても終わらない年もありました。
そして82歳にしてまだ山に入っていたユウさんは、急に足首が腫れて、血液の病気にかかり、
あっという間にお別れしてしまいました。

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写真上(葉っぱのお面を作って幼児と遊ぶ)
写真下(森づくりフォーラムの下刈り大会で挨拶するユウさん・中央で帽子を手に)(雪害跡を見回る1986年)

ユウさんは、捨ててあった建築端材を拾ってきては山の休憩所を造ったり、
崖地に渡り橋を架けたりするのはお手のもの。
田舎のマルチ人間の典型で、生きる力に長けていました。
特にユウさんの山仕事への気概と誇りは天下一品、細心で注意深く、仕事の段取りにも優れていました。
囲碁の詰めのように次々と手順が浮んで来るらしく、
時には「はてな?」と自問自答しながらも能率よく仕事を進めていました。
ユウさんと父は、山の事で意思疎通は完ぺきでした。
林地のほとんどの箇所に通称があり、ない所は「~岩」「~クボ」と勝手な呼び名を付け、
一言でそこの林地の様子が二人のまぶたに浮かぶのです。
でも、父から私へと代が変わると、彼の養沢流「言わなくても分かんべえ」が通じなくて、
お互い途方に暮れたこともありました。
ユウさんは、組織にいたなら擦り減ってしまったはずの純朴さをたくさん持ち合わせていて、
それが時に、私との間で誤解が生じるのでした。
そんなことはわかっているはずと言葉を尽くさない私は、今思い返すと欠点だらけでした。

いつもは陽気で磊落な笑顔が魅力のユウさんです。
が、ある日とても不機嫌な日がありました。
理由はすっかりわすれましたが、にこりともしないで表情が険しく、
がみがみ言ったと思ったらそっぽを向いている、私はそういう時、取り入るのが苦手で、
遠巻きにしてほとぼりが覚めるのを待つしかないのでした。
ちょうどその日はボランティアが来ている日で、みんなはユウさんと親しくなっているものの、
やはり近寄りがたいのです。
ところがひとりが、「でもね、ユウさん」「ここは如何したらいいの?」「ユウさん教えてくれなくちゃあ」と
付きまとってしきりに声をかけます。
「自分で考えりゃあいいだあゎ」「俺は知んねえ」、とりつくしまもないのです。
「そんなこといわないで教えてよっ」さらに迫るその若い彼女に、さすがのユウさんもかたい心が次第にほぐれて、
普段の表情が現われてきました。はるか年長の私は脱帽でした。
もとはと言えば、私の指示の出し方に不満があったらしいユウさんです。
ボランティアさんたちには、その若さと明るさでずいぶん私は救われてきました。
二人だけでのすれ違いの時は「そんなつもりで話したのでは毛頭ない。
この胸を開いて見せてあげたい!」と私は言って、
最後に氷解すると握手を交わして、仲直りです。なんだか子供同士みたいでした。

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白黒写真(ボランティアさんとお昼の味噌汁。
撮影はマスコミカメラマン、名称不明)

それでもユウさんは私を上司としてずいぶん我慢してくれたようにおもいます。
不満の箇所を上手に言葉に託せなかったのです。
苦労を背負った生い立ちだったようでした。
最後のころ、病院へ見舞ったときに涙を浮かべて話してくれたけど、
私が背景をすっかり理解するほど洗いざらいではなかったので、今もってよくわからないのですが、
彼が気を遣いすぎて逆な意味に解釈するところは若いころの境遇も影響しているのかもしれません。

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写真上(雪越こしで、針金を使って木を引っ張り立てる指導をするユウさん)
「旦那(父のこと)亡き後は杖をついてでも山に行く」「百歳でも枝打ち現役とテレビにでる」と
口走っていたのに「約束が違っていますよ!ユウさん」と言いたいです。

70年以上も前、戦争のため木々を伐り出し過ぎて、禿山が多くなり、大洪水もたくさん起きた日本の山。
国から植えよ育てよと緑化が奨励されて、その先頭にたったのが、全国の「ユウさんたち」でした。
戦後間もなくはまだ、林地に作業路もなく、チェンソーや下刈り機なども開発されず、
身体を張って、来る日も来る日も山に埋もれ、木々と格闘し、緑にまみれた山の男たちでした。
彼らが、日本の森林の40%を占める人工林を仕上げてきたのです。

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ユウさんのような純真すぎる心、それでいて「おれはおれ」と自分を信じ切る大胆さは、
自然にどっぷりと浸った長い歳月のなかで育まれたのではないでしょうか。
今でも森林ボランティアの心の中に生き続けていて話題が絶えないユウさん。
今回は実像写真とともに、在りし日を偲びながらありのままを紹介しました。
  1. 2017/03/06(月) 11:02:42|
  2. 山からの便り
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Author:せいすいさりょう


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