アメリカの田園で、慎ましいけれど、自然に彩られた豊かな自給自足の暮らしの中で
作品が生まれた、ターシャ・チューダーの絵本の中に、
“ベッキーのたんじょうび”という本があります。
この本はターシャー家の実話、とあります。
夏の日の、朝の光が、へやにさしこんできたところから、この物語は始まります。
主人公の少女のベッキーは10歳の誕生日を迎えます。
そしてこの一日、ベッキーは、鳥がさえずる田園の中で、家族や友人たちと楽しい楽しい
お誕生日の日を過ごすお話です。
絵本の訳者の内藤里永子さんのあとがきに、
「子どもには、一生忘れられないだろう思い出をあげることです」
ターシャ・チューダーの子育ての極意、その1つです。
・・・という一文があります。
この言葉に、私は大きく頷きました。
この絵本はおすすめです。
今年も、身近なところで、世界中で色々な事が起りました。
中でも、子供に関する悲しい事件が多くありました。
来年が子供たちが子供らしく過ごせる、もっとよい年になりますように、祈る思いです。
当店は来年もかわらず、暮らしの中で、団らんが生まれるようなお茶をご紹介して参ります。
どうぞよろしくお願い致します。
皆様も、どうぞよいお年をお迎え下さい。
2014年 末日
- 2014/12/31(水) 12:55:24|
- 店主の日記
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「よいお年をお迎え下さい。」
暮れのこの時期、あの人もこの人も交わす挨拶。
耳にすると嬉しくなる。
ただの挨拶言葉にすぎないけれど、幸せを願う、小さな祈りを感じる言葉。
こんな言葉が、日本のあちらこちらで、忙しく行きかう人々の間にもかわされている、
なんて嬉しいことだろう。
秋のある日、T君にお使いを頼んだ。
帰宅したT君が、用意した晩茶と柿ジャムのトーストを頬張りながら、ポツリ。
「“ありがとう”って言われるのも嬉しいけどさぁ、“お帰りなさい” も良いよねぇ。」
母子家庭を支えるT君のお母さんは、夜遅くまで頑張って、頑張って働いている。
そんな事情を思いつつ、“お帰りなさい” の一言の、包むような優しさを思った。
褒め言葉ではないけれど、“お帰りなさい” のひと言は、励ましの言葉にもなる。
改めて、T君から教えてもらった。
- 2014/12/29(月) 13:50:05|
- 店主の日記
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今はもう “みかん”に代わってしまったが、今年は晩茶を淹れては、よくよく柿を食べた。
今年は豊作だったのだろうか。あちらこちらから、それはもう、たくさんの柿を頂戴した。
柿で数種類のジャムも作ってみたし、和菓子も洋菓子も作ってみた。
写真のタルト・タタン風のケーキは2回目に作ったまだまだ試作の状態だけれど、これを何度作ってみたことか。
当店の<秋ばん茶>が更に美味しく感じるケーキが出来るようになった頃には、秋のお茶会は全て終わっていて
お客様にお出しすることなく終わってしまったことは残念だが・・・、柿を食べ続けて2つのことを教えてもらった。
1つは、柿を食べすぎると貧血になる、ということを今更知りました。
そして、最後の最後に頂戴した柿が、渋柿ではないけれど、なかなか好みの甘さにならず、がちがちに固くて、
家族はだれも手をつけない。
そんな柿を私だけが、日を置いては剥いて食べていた、残り後5個か、・・・とちょっとほっとしたある日、
手にした柿がなんとなく柔らかい。
いつも通り皮を剥いて口にしたら、これが、あまりの美味しさに驚かされた。
青い柿を食べているのじゃないか、と思わされていた柿に、
“時期は必ずくるのだ”と、体の中から力が湧くように思わされてしまった。
次から次へと届いてくる柿を目に、せっかく実った柿なのだから、1つも無駄にしないで美味しく食べきろう、
と腕まくりした心意気に、最後にご褒美をプラスして食べさせてくれた秋の季節。
季節が過ぎ、寒さ本番。
今の季節にはぜひ“みかん”と、体を温めてくれる山茶の<岩しみず>でリラックスしてみて下さい。
- 2014/12/26(金) 22:13:50|
- 店主の日記
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山からのたより その17 14年冬の巻 リーダーOさんのこと
池谷キワ子
おたよりがまた滞ってしまいました。
10月には白井啓子さんが初めて養澤の山を訪問してくださり、初対面を果たしました。
ここ何年も清水茶寮ホームページに書いてきましたので、私には旧知の方のように
思えた出会いでした。でも、その時の模様はすでに白井さんが書いていますから、
ここでは詳しい報告はなしにします。
いままでのおたよりで、山のよさばかり書いてきましたが、実際、森林に足を踏み入れると、
朽ちた枝葉や倒れた木々が散乱している場所もあったりして、
養澤の森は「絵のようにきれい」ではないことが白井さんもお分かりになったことでしょう。
「そらあけの会」は、15年余り前、主婦4人で始めた森林ボランティアグループです。
リーダーのOさんは羽村市在住、その時50歳ぐらいでしたか、蔓を編んで大きな籠を作ったり、
援農に行ったり、たくさんのことを精力的にこなしていました。
雪害で森林がめちゃめちゃになっている現場を見学して林業の現状を知ったといいます。
多摩の森林は、戦後の拡大造林でたくさんの人工林が造られ、その後の材価の下落続きで、
手入れが見放されてきました。
そうなると、水を育んだり山崩れを防いだりの役目も果たしにくくなります。
1999年スタートの「そらあけの会」は、月2回の月曜日に15年間、休むことなく下刈り、枝打ち、
間伐、などの山作業を続けてきました。それはOさんの説得力ある話しぶり、なんでも率先垂範、
みんなを思いやる心、リーダーシップがあったからでした。
今では会の宝物のような存在です。その後は男性会員も増えて今では15人ほどの参加です。

(枝打ち林地で話をするOさん。手前左)
千葉で育ったOさん、若い日々はテニス三昧だったそうで、体力抜群です。
作業林地に到着したと思ったらもう、休憩場所のあたりを鎌で切り払い、唐鍬(トンガ)で整地し始めます。
みんなが居心地よく過ごせるようにいつも心を砕いてきました。
両方のお母さんのお世話のため、ここ数年は、実際の代表の座を降りています。

(山から材を切り出すそらあけの会、みんなで皮を剥きました。次ページの写真)
ところが昨年、山仕事のプロで、初期そらあけの会の師匠だった
「ユウさん」の家が売り出されたのを受けて、Oさんはセカンドハウス用にと購入して改築。
ボランティアの憩いの場所としても解放してくれています。
そらあけ道具小屋からも、川を隔てて真向いです。居間は内装が地場の板で新しくされ、
目の前には養澤川が窓を通してワイドに広がり、まきストーブが燃えて、そらあけメンバーは
大喜びとなりました。
ユウさんも天国で、素敵に生まれ変わった我が家がみんなに使われていることに、
さぞ目を細めているに違いありません。

(磨き丸太が玄関の桁と柱になりました。ここの網戸も木枠です)
Oさんの山へ注ぐ気持ちは限りなく広がっていて、
先代の人々が造ったスギヒノキの多い多摩の山を健全に整備したい、それには地場の木を
もっと使ってもらうことだと、「ゆうさんち」と名付けたこの家の目的のひとつにしています。
そんな「山の応援団長」であるOさん、ご家族と折り合いをつけながら、これからも周囲のため、
養澤集落のために元気で活躍してほしいとみんなが願っているところです。

(「ゆうさんち」の庭で玄関用の柱の皮を剥く、バックは養澤川と堰堤)

(雨戸も板製の手作りです。ベンチを造る会のメンバー)
- 2014/12/16(火) 16:49:08|
- 山からの便り
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