
「あぁ……」デジカメを抱えて深いため息。HPにあげている写真を撮っているこのデジカメは、メーカーの
何とかで、別な商品と交換した物なのだが、目で見ている色とは随分かけ離れてしまうので、茶葉や
お茶の水色の写真を撮るときは本当に困る。
先日のお茶の集いでは、“年数の経ったお茶ばかりを楽しもう”、と会を用意をした。
何年もの間、封を切ることのなかったお茶ばかりなので、どれもお客様の前で封を切るつもりでいたが、
前日になって少々気になり、一番にお出しする予定の<玉蘭>というお茶の封を切ってみた。
このお茶は、小柳さんの父上がまだ現役の頃「このお茶を飲んでみてほしい」と送って下ったお茶で、
茶袋には“試供品”と判が押してある。
15年は経っているお茶だ。…が、封を開け、鼻を近づけた途端「えっ…」。茶葉の匂いの余韻だけが
頭を巡り、体はしばらく固まってしまった。「15年も経っているのに、何でこんな花のような香りがす
るのこのお茶…」。茶葉を広げてみれば、深い緑色がますます深く、青々と光っている。
茶色味か、あるいは白っぽくか、何れにしろ“枯れた風”になっていると思っていた茶葉は、今だ水分
を保持して艶々としていた。信じられないような、15年ぶりの茶葉であった。
このお茶の、会でのお客様の反応は驚きと嬉しさに満ちていたように思う。
花のような香りと清々しい余韻は素晴らしく、せっかっくのお茶なので、すすり茶碗に銘々にお出しして、
会の始めから最後まで何煎も飲んで頂いた。
小柳さんは「台湾の包種茶のようなお茶を作りたい。」とおっしゃっていたが、全くそのもので、えぐみや、
濁った感じの味がどこにも出てこない。「美味しいお茶は何年経っても美味しい」、は身をもってよく知っ
ているつもりでいたが、年数の経った日本茶で、瑞々しさまで味わえるとは、嬉しいことこの上ない。
古茶の楽しみも中国茶にはかなわないと思っていたが、なんのなんの。日本茶だっていけるのだ。
新茶ばかりが焦点になっていると思われる、今の日本茶どうにかならないものか、もったいない…。
当店では自然茶と分類しているお茶の類は、年数が経っていても心配はない。が、20年は経っている、
今では販売終了になってしまった<野生の樹>という手摘み、手炒り、手揉み、とすべて手作業で作ら
れた山のお茶にはまた驚かされた。茶葉に秘められた力強さは作り手の技によるものなのか、茶葉その
ものの芯となっているものなのか。こんな日本茶はもう、たぶん日本にはないと思われ、残念な限り。
ちなみに、ペットボトルのお茶の味がなんとなく煎茶の味、のようになっているが、こうしたお茶は
“緑色の草の味”だけではなく、土の味というか、山の味というか、そういったものに、火の力も加わっ
ているので、お茶のあつみというのか、ふくよかさが全く違うのだ。
会でお出しした他3種は、10年程度の年数が経ったお茶。
<べにふうき>には、「樽で寝かせたワイン」を飲んでいるよう」
<源流>は「このお茶の美味しさは他にはないですね」
<香蘭>は「驚くほど美味しい。果物みたいな味わいますます膨れた気がする」
といった感想が漏れ聞こえてきた。
遊び心で開いた会だが、私もこんな機会がなければ取り置いていたお茶を飲むきかっけがなかったので、
台風の影響下にあった大変な日にご参加下さったお客様に心から感謝申し上げています。
茶葉からも、ようやく使命が果たせた、と言ったのびのびした感じを受け、息の長い楽しみ方ではあるが、
こうしたお茶の楽しみ方、日本茶にもあってよいようにあらためて思わせて頂きました。
- 2013/09/23(月) 21:50:50|
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子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にあふれています。
レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー」より
夏休みに泊まりに来ていた甥っ子の学校も始まり、今日はこの地域の秋祭り。家の前から出る山車や
子ども神輿を囲んだ、楽しそうな子どもたちの声が聞こえ始めた。季節はすっかり秋。
夏の暑い盛りの頃、小学校4年生になる甥っ子が、動物村の住民を引っさげて泊まりに来た。
以前にも書いたことがあったが、彼にはじーじとばーばの家は不思議な世界が重なっていて、彼は
その作者だ。各部屋も廊下も階段も、我が家はどこもワンダーランドだ。
次々と増えていくキャラクターだが、彼の中には、すでに1000人(匹?)もいるらしい。
ちなみに、こんな感じ。

私の部屋は役場で、いい匂いで人を優しく癒す“けしょうさん”などが働いている。
ちなみに私が気にっているのは、現実はキッチンだが彼の動物村ではその場は“カフェ”になっており、
その名は“ハトノスカフェ”。ここのマスターがなかなか味がある。看板もメニューも作ってある。
お正月には豆大福を作り、抹茶を添えてお客様にお出しした。こんな時は我が家族は動物村の住人になる。
今回はマスターの“特別ブレンド茶”を作り、パッケージもなかなかのリッパなお茶を作り、今回お留守番
となった甥っ子のお父さんへのお土産となった。
そして今夏は、選ばれた住民達が立ち上がった!
…といっても紙人形になっただけ。

ちなみに、夏限定の住民もいる。

このキャラクターを手に手に、私は彼と上から下へ、部屋から部屋へとしゃべり続けた訳だが…
いくつかの部屋ではクーラーがついているので、部屋の扉を開けたら閉める、が当たり前。しかし彼は、
開けても閉めない。今までは、まだ猫と一緒の年か…と諦めたが、もう、許してはならない。
勢いよく扉を開けて部屋を飛び出す彼の後ろ姿に「開けたら・・・!!」と大きな声をかけると彼はハッと
して勢いよくもどり「閉める!!」と叫んで慌てて扉を閉める。何度も繰り返す中、彼がひと言小さな声で
「だって僕の家、扉ないんだもの…」とつぶやいて、今度は私がハッとした。そうだ、彼の家は、確かに、
洋室も和室も扉を開けっ放しにしている。(…もっとも、家の中を走り回る彼の為だろうが…)
この時、事には多くの場合理由があること、子どもの心の声を聞くことの大切さを教えられた。
さて、毎年恒例の“花火大会”は今年は悲惨。看板を張り、パンフレットを配り、ジュースやお菓子や
葉書を売る屋台なんかを用意して、動物村の印刷局でお金を造幣して皆に配った。ところが、肝心の100本
以上も用意した花火で火が点いたのは線香花火だけ…。それはないよね…という空気が、張り切って用意
した甥っ子を包んでこの夜は終わってしまった。が、寝て起きれば子どもは新しい一日に心がむいている。
「昨日の花火大会のお詫びに、今日はシャボン玉ショーをお見せします。」と言って、大人を椅子に座らせた。
私はときーどき、もっと子どもと一緒に過ごせる時間がもてる大人が増えたら、世の中よい方に変るのじゃ
ないかな、と思う時がある。
甥っ子が自分の家に帰った後、私は久しぶりにレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」を読んだ。
内容は深く、短い文章の本。以下のような文章も、本を読みすすめていくと、本当にそうかもしれない、
と思わせられる。読書の秋の入り口におすすめ致します。
地球の美しさについて思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもち
つづけることができるでしょう。 「センス・オブ・ワンダー」より
読書のお供となる、秋を迎えて美味しくなったお茶の紹介も、もうそろそろ始めます。
- 2013/09/07(土) 12:19:32|
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