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日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

家庭用米パン焼き器“GOPAN(ゴパン)”

“GOPAN(ゴパン)”販売受け付け再開記事
昨日27日、三洋電機が開発した家庭用米パン焼き器“GOPAN(ゴパン)
の予約販売の受け付けが再開されました。

皆様はこの“GOPAN”という商品をご存知でしょうか。
商品のHPには、ライスブレッドクッカーGOPANは、「食料自給率の向上」
「お米の消費拡大」「地産地消」「地域活性化」 「食育」など農業や
日本の食文化について考えるきっかけになりたくて誕生しました。
と書かれています。

“GOPAN"!!よくぞつくられた!と昨年私はこの商品を開発された
三洋電機に拍手を送りました。
家庭にある、お米と、水、砂糖、塩、上新粉、油、ドライイーストなどを
器械に入れるだけで、4時間後には米からパンが出来るのです。
家庭で、お米をそのまま器機に入れるだけで“パン”が手軽に作れる、
という発想に膝をたたきました。すごいことだと思いませんか?
産地によるお米の美味しさの違いを、パンにするという楽しさで、興味を
もつ方だって、たくさんおられるかもしれません。
ただ、試したくとも、注文が殺到して早々に販売中止になってしまいました。
それがまた販売開始になったのです。

話はそれますが、今年の2月23日の朝日新聞に掲載された、
ゴパン購入半額補助 福島県湯川村
  コメ消費拡大へ2.5万円
という記事に目が止まりました。
会津盆地の真ん中にある湯川村は人口約3500人。水田が面積の64%を占め、
10㌃あたりの収量は県内一を誇る村。
その村で、“GOPAN"を購入する村内の100世帯に、ほぼ半額の2万5千円を
補助をして、米の消費拡大策を4月から開始する、という内容でした。
これまたなんて気のきいた政策なんだろう、と膝をたたきました。

その後、大震災があり、この湯川村はどうしたであろうかと、
久しぶりにHPをあけてみましたら、元気、元気、

食べよう!会津湯川米」を東京で開催します。

○日時 平成23年5月8(日)10:00~15:00

○場所 福島県八重洲観光交流館(東京駅八重洲南口)

福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の農作物への影響と、
風評被害を払拭するため、「会津湯川米」の美味しさと安心・安全を広く
消費者に宣伝し、販売促進につなげるためのPRを行います。
また、村の地産地消を推進するため現在取り組んでいるGOPAN(ゴパン)
を活用した「湯川米から作るパン」の試食会も同時に行い、
「ごはん&米パン」による米の消費拡大を全国に発信したいと思います。

と元気な文字が飛び込んできました。(HPはこちら

いつかは“自動パン焼き器”の購入を考えていらっしゃる方は、
選択肢のお一つに、“米パン焼き器”も入れてるのはいかがでしょうか。



  1. 2011/04/28(木) 22:05:02|
  2. 店主の日記
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春の山からの便り

ナスの苗
もう、ナスの苗か…。
夏も近づく八十八夜の歌が聞こえてきそうな、我が家の夏支度が始っており
ます。
ハーブも十種類程増えました。夏にどんな成長を見せてくれるか楽しみです。

さて、絵本を読むような楽しさと、春の香りいっぱいに、
山からの便りその4が届きました。

そして毎度のことながら、私の暮らしからは離れてしまっている、
自然と人の暮らしについて、心をむけさせられました。

どうぞ、ご一読下さいませ。

  1. 2011/04/25(月) 22:57:46|
  2. 店主の日記

山からの便り その4

ミツマタ その1
山からのたより その4
                                  池谷キワ子

林業を多摩地域で営んでいます。
そのなかで、日頃感じたり考えたりしていることを書いています。

3月11日、たいへんな災害が東日本を襲いました。多くの人命が失われ、伴って起きた原発事故が
陸も海も汚染してしまいました。わたしたちは歴史的な転換を迫られています。東北という地域がど
んなに日本中を支えていたかも初めてわかりました。
この災害をけっして忘れることなく、将来に生かさなければなりません。
わたしたちだれもが、いまその存在を問われてもいるのでしょう。

そんな中でも、季節は巡ってきました。春到来の山のようすです。
ミツマタ その2
このミツマタは4月11日の裏山のもので、和紙の原料として昔日に植えたものの子孫が生き残っていたものです。
近くの軍道という集落は、「軍道紙(ぐんどうがみ)」が家内工業として栄えたところで、コウゾ、ミツマタ
の皮が原料でした。私の家にも昔は軍道紙がたくさん蓄えてあって、障子紙にしたり大事な書き物に使ったり、
浅黒くて丈夫な紙でした。コウゾはカズとも呼んで、明るい林地に“にょきにょき”生えてすぐ大きくなり、
いまでは邪魔ものの木となっています。
一方ミツマタ和紙は、コウゾより白さは勝るけど、木の生命力はさほど強くないようです。
ここは藪に閉ざされていてわからず、昨年、群生して残っているのを発見しました。開花する4月上旬は、
まだ山の春は浅く、林床のみどりもわずかです。

龍珠院からの眺め
この写真は、「龍珠院」からの眺めです。
4月も中旬を過ぎると急に、山の広葉樹林帯はさまざまな芽吹きに彩られ、集落の家々もミツバツツジの紫や
ヤマザクラのやわらかなピンクで覆われます。人工林の濃い緑色との対比がくっきりしています。
この日は春の靄がすこしあって、残念な写りですが。

龍珠院
「龍珠院」というわたしの幼馴染の生家は、花のお寺として名を馳せていて、例年4月の第三月曜の「そら
あけの会」活動日には、その時期の仕事、竹林の間伐を早く切り上げて、春の息吹を堪能しにいきます。

養沢のイタヤモミジ

養沢という山峡の集落は、80軒余りの家が養沢川沿いに2㌔程続いています。ここは集落の入り口付近です。
真ん中の淡い黄緑色はイタヤモミジの花です。下のほうに養沢川がちらっと見えて、その向こうの建物が
「ささんた小屋」。森林ボランティアのみなさんにくつろいでもらう拠点、夏には「ボランティアステーシ
ョン」という身障者をふくむグループがキャンプをしているところです。

養沢は人工林率が80%ぐらい。地名がしめすとおり、多摩の中では比較的地味が豊かで人工林が多い地域です。
今では人工林化し過ぎといわれ、経済価値の低くなった人工林のスギ・ヒノキは、集落の住人からも敬遠され
がちです。以前はほとんどの人が山の仕事で生活していましたが、いまでは遠い町への通勤族がほとんどとな
りました。でも人工林は、先代の人たちがいつくしんで守り育てた木々です。
大事にしたい、役に立たせたい、そして、人工林にかぎらずすべての森林をよい状態にすること、これがわたし
に課せられていることなのです。
  1. 2011/04/25(月) 22:02:27|
  2. 山からの便り
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お便り2通届きました

蓬パン
先日のお茶会のむし押さえに、あまりの爽やかさに、
“これ、ミントが入っていますか?”とお客様からよく聞かれた、
うみ風ハーブ園の<ヨモギ茶>を混ぜ込んで、久しぶりにパンを焼きました。
お客様はパンに鼻を近づけて、噛み締めて、まるで萌え出たばかりのような
春の香りを笑顔で召し上がって下さり、その際にお出しした、<レモングラス>と
紅蘭>のブレンド紅茶はその甘さが引き立ったか、とても好評でした。

さてその“うみ風ハーブ園”からとうとう
再出発の第一便、が届きました。嬉しいことです。どうぞご覧下さい。

また、“山からの便り”をお届け下さる池谷さんのお仲間からのメールを
掲載致しました。こちらも、どうぞご覧下さい。
  1. 2011/04/22(金) 11:34:35|
  2. 店主の日記
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新しいうみ風ハーブ園から 第一便

カモミール
4月中旬を過ぎ、宮崎は日中の日差しが暑く感じる日もあります。

うみの風ハーブ園の、岸上尚美です。
これから少しずつ、ハーブ便りをのせていきたいと思っています。

2月27日、私の夫、容三が亡くなりご心配をおかけ致しました。
4月16日、容三さんの50日祭を無事に終えました。

改めて50日もの日数が経っていたことを感じました。
「日にち薬」という言葉がありますが、亡くなった当初よりは、
今は確実に私の気持ちに変化があります。

そして自然の移り変わりの中で、
畑の作物もどんどんと成長しています。

2月末、まだ小さかったカモミールの苗が上記の写真のように大きくなり、
今は収穫の真っ最中です!
これは、ミント。
ミント
畑も、家族や友人が手伝ってくれ動き出しています。
エビス草を煎ってハブ茶作りを試してみたり、チコリを焙煎してみたり...。

数多くのことを容三さんは遺していきましたが、今は一つ一つのことを
私が取り組んでいけていることに喜びを感じます。

皆様の暖かい言葉が私の大きなエネルギーとなっております。

新しいうみの風ハーブ園、どうぞこれからもよろしくお願い致します。
                              岸上尚美
  1. 2011/04/22(金) 00:21:20|
  2. うみ風からの便り

哲学者の内山節さんからの呼びかけ

<山からの便り>を書いて下さる池谷さんを中心とされる森林ボランティ
アのお仲間の方から、池谷さんからのメールを私に転送すことを躊躇した
けれど、機会があれば情報提供お願いします、というメールが届きました。

以下、誰しもが被災地の復興を願っていることと思い、此度の呼びかけ人
の内山氏の復興支援の強い願いのこもった文は誠に恐縮ながら省略させて
頂き、ご案内文のみをひろい上げ掲載させていただきました。 白井
 
-------------------------------------------------------------
私の所属する「森づくりフォーラム」という、森林ボランティアを支える
団体の代表理事で、哲学者の内山節さんから下記の呼びかけがありました。
賛同なさるようだったらぜひ、実行してくださいますようお願い申し上げ
ます。                     池谷キワ子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう

―亡くなられた方々の冥福を祈る日を
みんなでつくりだすことを呼びかけますー 
                 最初の呼びかけ人・内 山 節

  日時:2011年(平成23年)4月24日(日)

この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を
祈りましょう。また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。

ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思い
ついた方法で、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。

この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの
手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方で、ご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送っても
らうことができないでいる人たちもおられると思います。亡くなられた方
々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、
復興に協力していくとともに、この直接、間接的な活動を通して社会とは
何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいの
か等を捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災
で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。

  1. 2011/04/21(木) 14:44:06|
  2. 山からの便り

まごころの人

のらぼう菜の花
膝を痛め、予定の活動をすっかり諦め、
母の辰己浜子先生の文章を、料理研究家の辰己芳子先生がまとめられた
「まごころの人」(文化出版局)を、面白さにつられ一気に読みました。

どんな事態が起ころうとも、今日の己れが悔いのない一日を忠実に生き抜く
だけと心に決め、実践された聡明な明治女性の浜子先生の前向きな生き方に、
私も少しはこうあらねば、という気持ちにさせられました。おすすめです。

さて、“まごころ”といえば、上記の写真の奥にヒョロヒョロっと伸びて、
黄色い花を咲かせているのは、我が家の“のらぼう菜”です。
種から育てて、葉を美味しく食べて、花を咲かせて、種を取り、また来年
種を蒔いて、を繰り返しましょう!という主旨の会を開いた、その時の
“のらぼう菜”ですが、ついつい、来年は“種”をとらせてね、とばかり
声をかけていたら、ついぞ葉は大きくならず、したがって葉を食べることは
出来ず…でもどうやら種はとれるかもしれない…という育ち方を致しました。

植物には耳があるようで、なんとも心無い育て方をしてしまったものだと、
しきりに反省しております。
この会にご参加下さった皆様の“のらぼう菜”はどのように育ちましたか…。





  1. 2011/04/20(水) 21:53:32|
  2. 店主の日記

“新生”という字を床に掛け

稽古日の朝
“時期が少し遅れましたが、よろしければこれを、
次回のお稽古の時に床にお掛けいただけますか?”と
社中の中で、筆の達つお方が色紙を書いてお持ち下さいました。

被災地に心寄せて、なにか言葉にしたい、と考えて、考えて
書いてくれた色紙には、“新生”という字が、心に深く染み入るほど
力強く書いてありました。

昨日はその“新生”を床に掛け、挽きたての抹茶と、
相応しいお菓子には、とらやの“陸奥の山”を選び用意致しました。
安永2年(1773)頃のお菓子だそうで、
陸奥とは陸の奥地の意で、現在の東北地方一帯を指していました。
“陸奥の山”は、緑の羊羹製と小豆入りの黄色い湿粉製を重ね、
新緑のまぶしい野山に花が咲く、春の明るく美しい情景をあらわしています。
と説明書きがあります。

240年位前に考案されたお菓子と一服のお茶をいただくその間は、
この240年間、世界ではどれ程の困難を乗り越え今を迎えてきたことだろうと
思い巡り、心丈夫となりました。
被災地の茶の湯を愛する方々にも、早くこうした時間がもてるようにと、
願う心が募るばかり、今日も祈るばかりです。






  1. 2011/04/18(月) 23:13:14|
  2. 店主の日記

お茶の集いのご案内 “お茶と飾り結び”の楽しさ

淡路結び(右上)
先日、はからずも東北の被災地に届ける折り鶴を折る場面にいる人となった。
“今、被災地に折り鶴かぁ…。”と内心思ったものの、折り鶴を折るうちに、
復興を願いながら折る、今このときの祈りが形となることに、当たり前のこと
なのだが気がつき、折り紙という文化があってよかった、と思えた。

さて話はかわり、今月4月のお茶の集いは、お茶を楽しみつつ、
伝統的な“飾り結び”をいくつか身につけて、生活に役立ててみませんか、
という会をご用意致しました。

1本の紐でつくる“結び”には、意味を持たせた多くの種類があります。
上記の写真は、今回ご紹介する結びの一つ“淡路結び”です。
これは“鮑”の形に似せた結びで、奈良時代から使われているそうです。
こうして見ると新鮮ですが、よく、祝儀の包みなどに使われています。

下の写真は、1本の紐に幾つかの結びを並べたものです。
たとえばお花の形をしたものは“菊結び”。
長寿や祝い事の場面に見られる結びです。
(この形も、案外と暮らしの中で目にする機会があります)
飾り結び

せっかっくですから、昔から祈る心を込めて結ばれてきた伝統的な結びを
覚えて、部屋に飾ったり、贈り物の際の結びに使ったり、
暮らしの彩りとしてぜひ、お役立ていただきたいと思っております。

今年は何回か“結び”の会を開き、数種類の“結び”をご紹介致します。
“致命傷”と前置きの付く不器用な私が結べるレベルです。
どうぞお気軽にご参加下さい。


  1. 2011/04/11(月) 21:05:04|
  2. 店主の日記

宮城県と宮崎県

ハーブ
慌しい日々が少し落ち着き、先日人と会う時間がつくれた。
何はともあれ、まずお会いしたかったのは、ご夫婦とも宮城県出身の知人だ。
“ご親族一同、大変なことでしたね。”
“奥さんの実家は北部で震源地のそばでね。3日間親族の安否が分らなくて、
 連絡がついてみんなとりあえずは生きてるって…
 生きてるって分ったときはそりゃあ…。”
命のおもみが伝わり、思わずこちらも、胸が詰まった。

“宮城へは?”
“うん。東北道が通れるようになった日に、車に必需品詰めるだけ詰めてさ、
 で、その東北道、誰もが同じ思いで走ってるって、運転していて感じるの。
 妙な連帯感みたいなものがあってさぁ。トラックの運転手なんか優しいだよ。
 なんかこう、行くぞー、待ってろー、って気持ちが熱くなったね。”
“で、現地の様子はいかがでした?”
“うん。あれはもう、地震じゃなくて、津波の破壊だね。
 津波に襲われなかったところは、しっかり家たってたもの。
 家の中はメチャクチャだけど。日本の大工さんは優秀ですよ。ほんと。
 現地に入って、あらためて、東北の人も建物も強いって思ったね。”
今だ緊張した事態の東北に心痛むばかりであるが、
東北の人も建物も強い。日本の大工さんは優秀ですよ、
と実感のこもった言葉が心に強く届いた。


その後、口蹄疫、鳥インフルエンザ、新燃岳の噴火と災害が続く
宮崎県出身の知人と話をした。
“宮崎も色々と大変ですね。”
“大変。大変。大変なんだけどさ、宮崎ってよくも悪くも南国気質っていうか、
 よく、てげてげって言葉使うんだよね。
 てげてげって、東京でいえば、まぁ、てきとーに、って感じの言葉。
 もうよく、てげてげ言っててさ。東国原さんが知事に当選した時、
 てげてげ言ってちゃもう駄目だって、って言ったんだよね。
 だけど、そのてげてげってノリで、今の状況乗り切ってるよね。
 まぁ、だから商売は下手だけどね。”

昨日はハーブの作り手となった尚美さんと電話でお話をした。
カミツレが順調に育ち、来週からハブ茶の焙煎に挑戦してみるとのこと。
“容三さんが亡くなってしまったけど、支えてくれる仲間がたくさんいて、
 宮崎に移り住んでよかったですね。熊本にもたくさん仲間がいたけど、
 宮崎の地もよかったかも。”
“そう。宮崎って、てげてげってよく言うんですよ。頑張りすぎないように、
 みたいな感じの言葉。真夏なんかは日中の仕事はてげてげでいいんだから、
 みたいに言われて。そんな土地柄にも支えてもらってます。”
続けて“てげてげ”の話を聞くことになり、ちょっと可笑しかったが、
宮崎の土地柄に支えられて作られる、ハブ茶の試作茶が楽しみとなった。

日本の北も南も災害に見舞われ、それでも踏ん張って、土地柄様々な
日本号の舵取りが今、懸命にされていることをあらためて実感している。


 
 
  
  1. 2011/04/10(日) 02:49:04|
  2. 店主の日記
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2011年の小柳さんの新茶

星に願いを
放射性物質の汚染水を海に放出するというニュースは、衝撃的でありました。
緊急時のやむをえない措置との前置きに…守るべきはなにかを、考えさせられ
る毎日です。海の恩恵にあずかってきた島国日本は、世界を巡る海に、この決
定を決めた政治家、東電の方々に、その恩恵にどう報いる覚悟があるのか、
お聞きしたい。

日本のもつ限りの英知と資金力をもってしても、この事態への対応は
取り返しのつかない汚染水の放出に踏み切るしかないのか、
この大災害にあたり、諸外国からの多大なる援助を思い、今後の日本の
背負うべきものの大きさを考えさせられる。

東京は桜が満々開。目に美しい桜色。心がほぐれる。
魚介類もまた、四季を伝えてくれる。
自然の恩恵に、謙虚である国であるようにと願うばかりです。

さて、4月に入り、周りからは小声ながらも「今年の新茶は…」のセリフが
聞こえてきました。
先日、静岡県藤枝市の小柳さんに、新芽の状況を聞きました。

いつもなら、4月20日位から茶づくりを始めるが、
今年は10日位遅くなりそう、とのこと。
今日に至るまでの寒さの影響で、葉の生育が遅れているそうです。

去年は葉が成長を始めてから寒さがもどり、
茶葉に大きな影響を与えましたが、
今年はお茶づくりの開始が遅くなるものの、
お茶の味への影響は今のところそんなに心配はしていない、とのことです。

このまま順調に成長できますように、とこれもまた祈るばかりです。
5月に入ってからの新茶のご案内、どうぞ楽しみにお待ち下さい。





  1. 2011/04/09(土) 11:01:49|
  2. 店主の日記
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労わる心 励ます心

のらぼう菜
3月21日の夕方。煎茶のお稽古に通うY子さんからメールが届きました。
--------------
白井先生、こんにちは。

その後、お元気でしょうか?
地震は大丈夫だったか心配しながら、なかなか連絡出来ずにいました。
無事でいらっしゃる事を願っております。

こんな時に不謹慎かとも思ったのですが、家の“のらぼう菜”に花が
咲いて、少しだけ春が今を明るくさせてくれた気がして、
先生に送りたくなりました。

どうぞ、引き続きお気をつけて日々お過ごし下さい。 Y子

--------------
昨年の秋、家庭菜園を始めてみよう、という会を開き、
“のらぼう菜”はその時に蒔いた種です。
Y子さんは収穫した葉を炒めたり、お味噌汁の具にと楽しみ、
今は花が咲き、この先には種が取れ、またその種を蒔いて…
を繰り返すことができます。
循環する自然の恵を思い、東北の被災地に深い祈りを捧げるばかりです。
Y子さんの、こんな時と思いながらも、届けてくれた労わりの心が染みました。
--------------
3月18日早朝。お客様からお電話がかかりました。
“この度の震災で、自分になにができるかを考え続け、お茶を
淹れることなら自分でもできるので、お茶を淹れて義援金集め
をすることにしました。先月の清水茶寮のお茶会で、岩手県の
しゃおしゃん”さんの気仙茶を飲ませていただきました。
もしも、白井さんのところにまだ気仙茶が残っていたら、
譲っていただけませんか?”

心打たれた早朝の電話。電話の主は、荒川区役所の職員の方。
お茶を仕事にされている訳ではない方が、人通りのある道か、
駅にでも立って、お茶を提供して義援金を集めたいと、その勇気に
頭が下がる思いでした。

残念ながら手元には気仙茶が残っておりませんでしたので、急ぎ、
しゃおしゃんの前田さんに、連絡を取りました。
ボランテァに動きたくても燃料がなく、家で粛々と出来るだけ燃料
を使わない生活をすることしか今出来ないので、大変有り難いお申
し出であると、その日のうちにポストまで雪道を歩いて、お茶を投
函して下さいました。
--------------
8日後、お茶と便りと写真が届きました。
手紙の書き出しは、
うれしいあたたかいお電話に、心を揺らされ、涙がこみ上げました。
“気仙茶”を通して、このようにまだ見ぬお客様との心の
「つながり」ができていたことに、ありがたい驚きを感じています。
・・・・・・・

気仙茶の里である、大船渡市、陸前高田市の知る限りの様子をお伝え
下さり、最後に、
お茶は、気仙では、産業としては全く成り立たないもの、
だれも産業だなんて思っていないものです。
本当に微々たるものなのです。
しかし、農協も人々も、そんなお茶を心の中では大切に思ってきたか
らこそ、いまだに加工工場があり、摘む人がいて、残ってきたものです。
作れる時が来たら、早い時期に気仙茶を作りたいと思います。
手作業でもなんでも、とにかく作りたい。
まず、地元の皆様に飲んでいただきたい。
そして、全国の、気仙茶を大切に思って下さる方々にも、
お茶をお届けしたいと思います。
・・・・・・・
                    しゃおしゃん 前田千香子
--------------
わずかに残る各地の昔ながらのお茶が、これ以上姿を消すことが
ありませんように、風土の豊かさを実感できるお茶は宝のひとつです。
気仙茶も次の世代に伝えていけますように、どうぞ皆様気仙茶を見守り、
支えて下さいませ。

--------------
さて、岩手からお茶が届き、3月末にお客様が受け取りにいらっしゃい
ました。このお客様の行動が組合を動かし、昼休みの時間帯に区役所の
一部屋を借り、職員の方々を中心に昼食時の一杯のお茶として役立て、
義援金となるようにできたとのことでした。
“私はKさんの朝の電話に本当に感動しましたよ。
 街頭に立ってでも、という気持ちで行動できるなんてすごいことです。”

“白井さん、違うんです。
 実は私、地震のあった時、台湾にいたんです。その大変さを経験しなか
 ったんです。家族が日程どおりに帰国しても大丈夫との連絡だったので、
 日程どおりにすすんで最終日、あるお茶屋さんでお茶を買ったとき、
 うちは現金でないとだめだよ。って言われたんです。
 しかたないので、友人と手元に残った現金を集めて支払ったら、その場
 でそのお金を全部包んで、義援金に使って下さい。日本は大丈夫。
 って、身も知らない私に、お金をそういう形で預けてくれたんです。
 その心遣いに感激したまま、次にもう一件、お茶屋さんにいったんです。
 お茶を買って、支払いをすませたら、店主の方が

 私は義援金に協力しないよ。
 日本人は今こそ、忘れてしまった
 『お互い様』を思い出さなくてはいけないと思うから。
 日本は大丈夫。
 そう言われたんです。
 私、その場で義援金を渡して下さったご主人にも、
 義援金に協力しない、とおっしゃったご主人にも、感激して

 帰りの飛行機の中からずっと、私になにが出来るんだろうって、
 考えつづけて、そうだ、お茶なら淹れられる、と思いついて
 白井さんに、電話したんです。
 この人たちに、背中を押してもらったんです。
--------------
今、米国をはじめ、世界のあちらこちらで此度の震災を身近なことの
ように受け止め、大きな支援を送って下さっている。
政治的には色々な睨みあいがありますが、とにかく震災の被害に心痛め
ともに頑張ろう、と各国からの援助は想像を超えるばかり。
世界からの声援が、被災地に、ひとりひとりに、大きな力となりますよう
にと、ひたすら祈っております。








  1. 2011/04/02(土) 11:50:27|
  2. 店主の日記
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お店の紹介

せいすいさりょう

Author:せいすいさりょう


清水茶寮(せいすいさりょう)では、
無農薬・無肥料の、昔ながらの製法のお茶をはじめ、品種のもつ個性を活かして作られた煎茶、挽きたての抹茶、有機農法(バイオダイナミック農法)によるハーブなどをご用意して、日本のお茶の美味しさをご紹介しております。
通信販売・お茶会についてはこちら

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