山からの便り その1 池谷キワ子
私の家と所有の林地は、東京都あきる野市養沢というところにあります。
正確に言うと私は、今は夫と調布市に住み、養沢の家は生家です。
林業を父から引き継いでいから20年、週に数日1時間余かけて通っています。
写真は家屋敷に隣接する裏の山で、わずかなエリアですが140年生の木々(スギヒノキ)が残っています。
私たちが通常「やま」と呼んでいるのは「林地」という意味あいで、それもこのあたりは里山ですから、
「やま」は1ヘクタールどころか、一反(約300坪)とか一畝(約30坪)のような小区画が多いのです。
で、この「やま」は右手上部にある小さな神社の鎮守の森にもなっていて、伐りだしやすい場所でもあるため、
この樹齢まで珍しく伐られずに生き延びてきたのです。
写真でみるととても140年経った樹木にはみえませんね。
中央の沢沿いに奥へ延びている小道は、以前は山の銀座通りで、たきぎを背負った人が行き交っていました。
140年前といえば、わたしの曽祖父のまたその祖父であった次郎兵衛じいさんが、初老期だった明治初年ごろ
植え付けたことになります。

小道の両脇にはキバナアキギリ、ヤマホトトギス、イヌショウマ、ミズヒキ、シュウカイドウなどたくさんの
花々が、ついせんだってまで咲き誇っていました。
ムササビの巣穴樹木やリスの遊ぶ幹もあり、いのちが多く感じられる林地です。
- 2010/10/17(日) 17:34:39|
- 山からの便り
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日本の自然~森林について~名古屋大学名誉教授の只木良也先生の<森はいきている>という文章の中に、
「気候条件が豊かな緑に恵まれた森林の成立を許す国土、そこに住む日本人は、それだけでも森林のない国々
の人より幸せである。だが、日本人の、自分たちの国土の緑の衣ともいうべき森林に対する知識は、決して豊
かとはいいがたい。そのために、いままでどれほど国土を損傷し、自分たちも損害をうけてきたことか。
日本人の森林に対する知識の低さは、森林が日本人にとってありふれた景色であったせいといってもよいであ
ろう。それは「空気のような」存在だったのである。「空気のような」とは、ふだんは身の回りにあって当た
り前、その有り難さには気がつかない。だが、それがなくなったら、という意味である。空気のような存在の
森林は、空気のように大切なのである。」
とあります。都会に住む私達多くの人は、日常の生活と森林との係わりを考えることなく生活をしております
が、“酸素”“水”“食料”といった生命環境に深く係わり、“建物”をはじめ、日本文化の基盤となる森林
の存在について、開発が進んだその現状について、誰もがその現状を知る必要があるように思っております。
今、私は全く森林についての知識がありませんので、興味を持ちつつ、時間をかけつつ、日本の森林について
知っていこうと思っております。
皆様にも、ご興味持っていただける方がいればと、このHPに興味の窓口を作ることに致しました。少しずつ進む
ページとなりますが、無関心から少しでも関心へ、と、心を向けながら作っていきたいと思っております。
さて、森林については立場によって様々な見方があり、奥山と里山とでも大きな違いがありそうです。
まずは、このページを作るにあたり、森林ボランティアを務める岡田さんを通して、女性林業家(育林家)の
池谷キワ子さんが、“森林事情”についての文章を四季折々に、書いて下さることになりました。
まずは第一歩として、どうぞこのページを読み続けて下さいませ。
- 2010/10/08(金) 16:01:52|
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