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日本茶の店 清水茶寮からのお便り

店主の徒然日記、ハーブ園から、森林から便りが届きます・・・

山からのたより その11 ~養沢の林業このごろ~

山からのたより その11 ~養沢の林業このごろ~
                         池谷キワ子

今年の春は歩調がゆっくりです。山は春の到来が遅いとおもわれるでしょうが、
植物によっては感度が高く、もう芽吹いて枝先を緑に膨らましているのがニワトコなどです。
今回のおたよりは冬の養沢と林業アラカルトです。

「冬は山仕事、お暇でしょう?」といわれます。が、どうして一番忙しいときです。
灌木や下草は枯れ木状態で作業はしやすく、木々は水を吸い揚げていない時期、
枝打ちや間伐の適時なのです。晩秋に「ボランティアそらあけの会」では
40年以上も藪状態だった放置畑を刈り払いしました。

1月からは、昨シーズン以来高い枝打ちに挑戦している井戸入り沢での作業になりました。
このごろは15人ほどが月2回のわりで、元気で楽しくやっています。
枝打ちをしないメンバーは大刈り(林内の灌木伐り)です。

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写真:篠だけ藪を伐り払ったそらあけの会

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写真:枝打ちはラダーとステップで6メートルの高さまで。
ほかに木登り機も使っています。


ボランティアとは別に、林業のプロに間伐などの山作業をお願いしています。
東京都認定林業事業体の築地林業です。
若者2人組の彼らは、1月初めから作業路づくりに取り組みました。
私の家の林地は小区画であちこちに飛んでいるので、近代林業の命綱である作業路を、
いままでほとんど開設してきませんでした。
この作業路とよぶ小規模林道は、林業を営む上での「魔法の杖」ともいわれてきましたが、
いまではこれなしでは林業が成り立たない存在になりました。
田邉由喜男氏という名だたる道づくりの指導者が来てくれて、一カ月で1,7キロが
完成してしまったのです。その速さにはほんとにびっくりでした。
このごろでは、この作業路造りに行政から補助金もいただけて、森林所有者の負担が
軽く済むようになってきたのはありがたいことです。
この路を使って材木の出荷が容易になる日を待ち遠しく思っているところです。

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写真:見学者に作業路造りのコツを解説する田邉氏

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写真:ヘアーピンカーブなので一般車は通行不能です

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写真:山に囲まれた養沢集落。12月

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写真:岩山迫る家々。2月


養沢は山に挟まれて日照時間が少なく、寒さひとしおの地です。
立春後さいしょの午の日、今年は2月9日がお稲荷さまの祭日「初馬」(はつうま)でした。
祠に旗を奉納し、御幣やで飾り、油あげや小豆ご飯を供えます。

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「山眠る」は冬の季語です。養沢住民の愛しの山「大岳山」が枝打ちの井戸入り
山林からも望まれます。「分け入っても分け入っても青い山」(種田山頭火)
  1. 2013/02/28(木) 11:40:48|
  2. 山からの便り

山からのたより その10 ~養沢の山に棲むケモノたち~

山からのたより その10 ~養沢の山に棲むケモノたち~
        
                                      池谷キワ子

今年(2012年)の秋は足早です。そのせいか木々は色合いよく衣を変えました。
日ごとに紅葉ラインが麓に降りてきています。
そして、あの暑かったことが思いだせないほど、木枯らしも吹き出し、
早朝は、屋根が霜でまっ白になるこのごろです。

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                   (養沢集落の入り口 2012/11/13) 

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          (五日市 広徳寺の銀杏2012/11/13)
                

大昔、この辺の山は動物たちの独壇場だったのでしょう。
次第に人が住みだし罠や鉄砲で捕獲して食糧や毛皮に利用するようになると、
ほとんどが安全な山奥に姿をひそめていきました。
クマ、シカ、カモシカ、サル、野ウサギ、テン、イノシシ、狐、タヌキ、アナグマ、リスなどです。
ところが昨今、林業が衰退して林内に人が入らなくなると、彼らはまたぞろぞろ里におりてきているのです。
人口も減り、子供の声も聞かれない集落に、動物は安心して近づきはじめました。
とくにイノシシは畑の作物を我が物顔に食い散らかし、丹精込めた畑を荒らします。
クマは今年のように木の実が不作な年は、人家近くにやってきて、
人に危害をくわえたなどニュースになっていますね。 

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    ( 「クマ棚」といってクマの休み場所。          (バス停にクマ注意の立て札が)
  まんなかの枯れ枝がためてあるところ) 


養沢のなかほど、神谷バス停付近では、すぐ道脇の川向う、写真の棚にツキノワグマが座って、
「かわいい顔でこちらをみていた。つい手を振ってしまった」と目撃者の談です。
数日まえ(2012/11/20ごろ)には親子のツキノワグマが
養沢の入り口付近の街道を歩いていたとか。 
東京・奥多摩町の多摩川左岸ではかなり以前からシカが大量に出没し、植えたばかりのスギ、ヒノキを
全滅させるので、林業者は途方に暮れています。
生息エリアもひろがり、近ごろは養沢にも来ていて、 わたしの山林の太い木が、皮を剥ぎとられたりしました。
行政も調査捕獲に精出しているのですが、 なかなか減少のニュースは聞こえてきません。


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(畑と山の境にはイノシシを防ぐ電気柵が張られている)
わが家のすぐ裏山に140年生のスギ・ヒノキの混交林がすこしあります。
その根元は、さまざまな雑木が2メートルばかりの
丈で生い茂っています。 そこにはトンネル状に「けもの道」ができているのです。 タヌキ、キツネ、アナグマ、ハクビシンといった人里近くに住む小型の獣が行き交う道です。
先日、沢周辺をみんなで大刈り(林内清掃)をしていて、若いキツネの頭蓋骨を拾いました。
これらほとんどの生き物は日暮れてからが活動時間帯で、わたしたちはなかなか出逢えないのです。 このごろやたらに増えてきたイノシシはとても臆病で、人前にはほとんど姿を見せません。


 
ここの25メートル以上の高さでそびえる木々も、何本かは枯れる寸前となっていて、
そこにムササビが団地を造成しています。
ムササビはまったくの夜行性ですから、私たちは「ばんどり」(晩鳥)とも呼んでいて、
日暮れてから辛抱強くウオッチしないと 見かけられません。
が、昼間に私が幹をたたいたら、驚いて飛び出し飛行をみせてくれました。
哺乳類なのに、コウモリは空を飛びますし、
ムササビは前後足の間にあるケープ状の飛膜を広げて滑空するのです。 

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(まんなかの木に3つムササビ団地)
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(写真 篠木真『ムササビ』)
 









 

動物と人間は長い年月、互いにせめぎ合いながら山の恵みを貰って生きてきました。
彼らは種の保存のためにも必死で生き抜きます。
たくさんの種類の生き物が住んでいる山は理想的、生物多様性です。
でも頭数が増えすぎたりすると、山里で人が住むのは容易ではなくなります。
動物保護もバランス感覚が必要。集落が消えてしまうと、さらに森林の保全は難しくなってしまいます。


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       (秋川から望む馬頭刈山<ばづかりさん>と大岳山<おおだけさん>(右)。
       養沢集落の母なる山々です。 2012/10/19)

  1. 2012/11/27(火) 11:45:12|
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山からのたより  その9 ~水のゆくえ~


山からのたより  その9 ~水のゆくえ~

                                                                      池谷キワ子

今年も暑さはまだ続いています。
そこで今回は「涼」をお届けしたく、水の流れについて書きます。
水という存在はなんともいえず魅力的なものですね。
あらゆる生命は水なしでは生きられないし、人体の約60%は水なのだそうです。
ヘレンケラーは、水に触れて、掌に書かれた「ウオーター」が最初に知ったことばだそうですが、
たしかに水という液体の感触は独特なものです。

わたしがいつも足繁く通っている裏山の井戸入り沢は、そんなに奥が深くないのに、
渇水の時期でもかなりの水量で、澄んだ水を流れ出し続けます。集落に水道が引ける前までは、
長い間、貴重な飲料水の役目をはたしてきました。いまではこの沢は2軒の家が、
池に引いて鯉を飼っています。水道水だと魚が住めない、不思議なことです。

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山の地面は団粒構造の生きている土。そこに留まり地下水となる水

グラフィックス2 
岩間から湧き出る清水が、井戸入り沢となっていく。

グラフィックス3
井戸入り沢
  
森林に降った雨が、地下に吸い込まれて浸透した水が地下水となり、
浄化されミネラルも含まれて、おいしい清水となって湧き出てくる、この天然の仕組みはすばらしい自然装置です。

グラフィックス4

沢沿いの石垣にびっしり咲くユキノシタ  6月初旬


養沢川は十里木で檜原村から来る秋川に合流するまで、御岳山、大岳山に端を発し、
せいぜいその長さは10キロ程度です。
この川は大雨の時でも、かなり透明な水を保っていて、山崩れさえ発生しなければ濁らないのがみんなの自慢です。
滝も随所にあり、夏は緑陰のなかで涼を求める人たちで賑わっています。

グラフィックス5
井戸入り沢の注ぐあたりの養沢川

グラフィックス6

御嶽神社からすこし下ったところにある「七代の滝」。
マイナスイオンを満喫できる。
養沢川源流である。撮影 西川みつ子  

グラフィックス7

滝の側面にはイワタバコ  7月


「ようざわ」という名は、「いわお沢」がなまったものらしいと、つい最近知りました。
たしかに川の中には大きな岩石がごろごろしています。
そして、水中の石に緑の「苔」がついていて、それを食する「カワニナ」貝が増え、
それらを餌にする「ゲンジホタル」が 7月初頭には養沢を飛び交います。
森林の腐葉土をくぐり、ミネラルを含んだ水は、苔に養分を与え、アユやヤマメを育てるのです。

グラフィックス9
ホタルの飛び交う名所、徳雲院そばのネムノキと養沢川。


手入れの行き届いた森林は「緑のダム」です。
養沢川の水は、秋川となって五日市を東へ向かって流れ、拝島付近で青梅の方から来る多摩川の本流に注ぎ込み、
東南方面に調布、二子、丸子、六郷と経て東京湾に流れ込んでいます。
この流れに沿って材木が、最初は一本ずつの「管流し」の方法で養沢を出発、五日市周辺で「筏」に組まれ、
江戸まで到着。大正の末期ごろまでの輸送手段でした。
さっそうと筏を操る筏乗りは、山仕事仲間の華だったようです。

グラフィックス10
五日市を流れる秋川は今年も水浴び客で満員



自作の不出来な和歌を披露します。
枝打ちや間伐をして、林床をみどりに保つことが、健康な森林となって、多摩川の水量の平準化をも担っているのです。


「多摩川を 渡れば思う この一滴 われの枝打つ 山よりも出ず」



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調布市を流れる多摩川、人々の暮らしのオアシスになっている。  撮影 大谷三男
  1. 2012/08/24(金) 10:41:58|
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山からの便り その8 ~山の道~ 

    山からのたより その8 ~山の道~           
   
                                                                                               池谷キワ子

いっきに春が到来しました。でも、例年より10日近く遅かったようです。
花粉症のみなさま、今春はいかがでしたでしょうか。
わたしたち林業をいとなむ者にとっては肩身が狭い時期でもあります。
養沢の里は4月中旬のいま、山桜、ミツバツツジの紫、イタヤカエデの黄緑、
ヤマブキや菜の花の黄色、コブシの白、と色とりどりです。

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 今回は山の道をご紹介します。
 山の中で歩き道がかなたへと登って続いているのは、
 なんとなく詩情を感じ、教科書にあった
 「道程」(高村光太郎)という詩を思い出します。
 折れ曲がっていって、木立にさえぎられて、
 さきがどんなふうに続いているのか皆目わからない
 からかもしれません。








(下写真は古くからの踏み跡道)

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育てている木を手入れする、風害などが起きていないか見回る、それにはまず歩きやすい道がなければ始まりません。
登山道はともかく、林業が衰退して、以前はしっかり出来ていた道も、草が生い茂って、
どこら辺が道だったかどうしてもわからない、そんなところがいっぱいです。
「ああ、この辺が道だったらしい」と見出した時は、昔の人々がたどってきた跡なんだと思うとうれしくなります。

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山の歩き道つくりは、つづら折れにし、骨を折らずに登っていけるようなルートを設営します。
手入れの荷物は、チェンソーや燃料、鉈や腰のこぎり、お弁当、もろもろの道具で、けっこうな量です。
これを背負って楽に登れるように整備します。これは一時的な道のこともあり、面白がって好きなように造ったりです。
そうはいっても間伐とその選木、大刈り、といった手入れをしているときは、
林内を道などおかまいなしに歩き回らなければなりませんけど。

3月、「そらあけの会」は、「井戸入り沢」から「横根峠」に抜ける歩道を開設しました。
あらかじめ下見し、印をつけた木々に沿って、道づくり班5名の男性が、「トンガ」(唐鍬)を振りおろし、
がりがりと斜面を切とっての造成です。2日かからずに3百メートルの新道が出来上がりました。
その日の帰路は、みんなで通り初めをして、横根古道ルートで下山しました。
この横根古道は、以前は養沢へのメイン街道で、馬や人力車が行き交ったところであり、
馬頭観音がいくつも建立されています。

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(馬頭観音   左1803年・右1855年建立 馬の安全祈願)

ほんとうは今の時代、車両で頂上までいける「作業路」が断じて必要です。
車で通れる道を造って、機械を使っての出材は、コスト削減には欠かせません。
でも、このあたりは急傾斜だから、林地を荒らす?小規模所有だから他人の林地を通る?など作業路造りは
とても難しいのです。
(写真・歩道作り中と完成した道・今年3月)

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視界が刻々と変わる山道歩きは、足元にいまは、スミレ、ヤマルリソウ、
キケマン、ムラサキケマン、ニリンソウ、ネコノメソウと賑やか。
遠い山々が春霞でおぼろげに折り重なって望まれ、歩く気分は最高です。
ふかふかした土の地面は、足裏に心地よく、人が行き交うにつれ山道は自然に
しっかり整っていきます。
わたしは山のマップに、この増やした道を書き足して、大勢のかたがたに歩いていただき、
森の表情を楽しんでほしいとおもっています。人工林も手入れをすれば豊かな山に変貌し、
年輪の詰んだ力強い材木が取れるようになります。

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(キケマンとワサビの花。写真下は横根古道。さびれてしまったが道幅は広い)

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  1. 2012/04/26(木) 22:52:02|
  2. 山からの便り
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山からのたより その7 ~冬の林内と小さな来訪者たち~

山からのたより  その7
~冬の林内と小さな来訪者たち~
                         池谷キワ子

今年の寒さは格別ですね。
被災地のみなさまはいかばかりかとおもわれます。
養沢の山でも、寒い凍った林内、落葉樹は枯れ木のように葉を落とし、山の魅力が半減しています。
でも、この時期こその輝きもあります。
スギの常緑の衣は、にぶいからし色となり、ヒノキの緑も深い色合いとなります。
シラカシ、アラカシ、ヒサカキ、ツバキ、オチャなど照葉樹という常緑の木々は、葉面がしぶい緑色
に光って、寒さをしのいでいます。
赤銅色の杉木立
赤銅色の杉木立

冬のくもり空にも光るお茶の葉
冬のくもり空にも光るお茶の葉

1月にはいると、わずかに枝にしがみついていた秋の彩りの葉も吹き飛んで、ナンテンなどの実が目
立ってきます。今年は実付きがよく、ヒヨドリのような群なす野鳥が減ったのか、赤い実が自己主張
を強めています。
まだトリに啄ばまれてないナンテン
まだトリに啄ばまれてない“ナンテン”

ツルリンドウとフユイチゴ
“ツルリンドウ”と“フユイチゴ”

小さく可憐な「ヤブコウジ」.
小さく可憐な“ヤブコウジ”

歩き道の脇の「ミヤマシキミ」
歩き道の脇の“ミヤマシキミ”

このあたりは昔から人が住んで、山で育つ食用植物はなんでも植えてきました。
オチャ、ミョウガ、ウド、孟宗竹、ワサビ、ミツバ、セリなどです。
ゼンマイ、ワラビ、コゴミは、自然に生えているもので、そのエリアを枯渇しないよう上手に利用し
てきました。ヤマイモはジネンジョといって格別の味わいです。
細長く地面の奥まで根付いていますから、特別な器具を使って掘るようです。

山案内のコースにワサビ田があります。
沢沿いに棚田を13枚ほど作っている森林ボランティアのN嬢は、もう15年間も千葉の市川から休日
にやってきて世話し続けています。ワサビは豊かな森林から湧き出る養分を含んだ水が、常時流れつづ
けるように、小石づくりで田を設置します。苗を植えて3年ほど経て採集時期を迎えた何枚かの田から、
年末に「そらあけの会」にワサビを採らせてくれるのです。おかげでメンバーは、地酒「喜正」を舟絞
りした絶品酒粕を入手して、お正月用「ワサビ漬け」を作るのが恒例となりました。
ワサビの出来もよい今年、わが家でも辛みのきいたワサビ漬けがたくさん出来ました。
わさび田
ワサビ田

1月19日には中野区立平和の森小学校5年生80名が、「東京・森の学校」(注1)の見学コース
になっている私の家の森林と近くの製材所にやってきました。
5年生の三学期には、社会科で林業を学ぶカリキュラムとなっていますが、山まで見に来てくれる学校
はほとんどありません。わたしたち「東京・森の学校」では、ボランティア「そらあけの会」や田中製材所長
さんの助力を得て、この案内役を引きうけました。
24年生ヒノキが、彼の手によって、受け口と追い口を入られて、ツルを残した方法でメリメリとゆっくり
倒れると、こどもたちから大きな拍手が起こりました。そして「山はきもちがいい!」と目を輝かせて帰っ
ていきました。製材所でも製材機の「おびのこ」でみるまに丸太が四角く切られていくと、ワアッと歓声が
あがりました。
なんといってもじかに森林に触れることが、森林のほんとの理解につながるのだとおもうのです。

これからヒノキが下方に倒れます
これからヒノキが下方に倒れます


製材機で丸太が四角になる
製材機で丸太が四角になる

5年生といえば、かなり視野が広がり、気持ちも安定した「子供時代の大人の時期」です。
森林を取り巻く多くの問題も知れば、体験ととともに一生忘れないことでしょう。山での歩みもしっかり
して私も追いつけないほどでした。感想や質問が届くのが待たれることです。

(注1) 4年前の発足。都市の人に、森林に親しみ、林業を知り、もっと東京の木を使ってもらおう
と、山を案内したり町で講座を開いたりしているグループ。建築家、森林インストラクター、製材業者、
林業家がメンバーとなっている。
  1. 2012/01/24(火) 18:54:00|
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山からの便り その6 木が育ちあがるまで

山からのたより その6                池谷キワ子

山からの便り 秋の号をお届します。

夏と冬の日々は同じような日々が続きますが、秋と春の日々はすべての気象状態が揺れ動き、気温が
一日として同じところにとどまっていません。行きつ戻りつ気温は上下し、来るべき厳しい季節の
「ならし」をしているようです。山は天気の変わり具合がはげしく雨も多いです。
そして時折、桃源郷にいるかのような抜群の一日が訪れます。
そんな日は、神様が天上からおりてきて戯れているとき。あらゆる自然のものが、嬉しくてたまらず
笑っているかのごとくで、「秋日和」満喫となります。
昨年の秋風景
秋の風景

今までの便りでは、「材木の値段が下落した」と繰り返し書いてしまっていて、読み苦しく、たいへん
失礼しました。そこで今回は木が育ちあがるまでの仕事をご紹介しましょう。

×    ×    ×    ×    ×    ×

★木を植えて、伐採して利用し、またそこへ再造林する、これを繰り返していくのが「林業」です。
それではじめて、木材が持続可能な資源となります。
伐採跡地がまだ寒ささかりのころ、「地拵え」(じごしらえ)という林地の整地作業をします。
苗木を植えやすいように、散乱した枝などの残材をひとところにまとめて地ならし、新植の用意です。

★「遠山に雪」がまだ残っているような3月から4月初めにかけて、「植え付け」。
苗木やさんの畑で実から育てた苗を、根を乾かさないよう菰に包んで、届いたその日に植えます。
「尺五苗」といって45センチ丈の、このあたりではスギかヒノキをヘクタール3000本植えです。

★植えてからほぼ7年間、夏の盛りに苗木の周りを刈る「下刈り」です。
雑草に負けないで日差しを浴びて育てるには欠かせない仕事です。
とくに2,3年目の苗が幼い時はシーズンに2度刈ります。この仕事は一番厳しいものです。

★すくすくと育って8年目には隣の木と枝が重なるようになって、下草が生えなくなると、つぎは「蔓切り」。
侵入した雑木や枯死した木「除伐」もします。
同時ごろ「根払い」という枝打ちで、胸高までの枝を落とす仕事もあります。

★根払いの終わった数年後、私の家では13年生ぐらいで第一回目の本格的「枝打ち」です。
本来は少しずつやるのが木に負担をかけないのですが、今時はいっぺんに4メートルほどまで枝を払い
落してしまいます。
山のプロ・ゆうさんの枝打ち
山のプロ・ゆうさんの枝打ち

★あとは折を見て20年生ごろから何回かの「間伐」です。
一度の間伐で、本数で2割から3割を伐り、このごろでは伐った木を横に積んで、林内に放置しています。
出してきて市場で売っても出材経費の方がはるかに上回ってしまうためです。
良材生産林はさらに6メートル「枝打ち」します。
ヘクタール3000本を植えた林が、除伐され、さらに間伐(まびき)数回をへて、60年後の皆伐時期には
およそ「600本」となります。
プロTさん間伐
チェンソーを使って間伐

沢山の手、長い時間をかけないと材木はできあがりません。
植林時も水をやらない、肥料はいっさい与えない、害虫駆除もできない、と自然にお任せ、でも手入れ
だけは絶対に必要です。使いやすい材木にならないのです。自然とどっぷり「四つに組む」仕事です。
このところ頻発の災害にはやられっぱなしです。
1988年の雪害
1988年の雪害

  1. 2011/12/02(金) 11:24:57|
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山からの便り その5

山からの便り その5        
                            池谷キワ子
 
猛暑が続きましたが、みなさまお元気に夏を乗り越えましたか。
山からのたより その5をお届けします。

「夏の山仕事は涼しい場所でいいわね」とよくいわれますが、労働しなければの話です。
ここ、多摩の森林も、林内を歩き回り、邪魔になっている木を伐り払ったり、歩道をガリガリけずったりし
ていると、人によっては首に巻いたタオルを絞ると、汗が滴り落ちるほど。
でも、木陰で一息つけば、沢からの風がなんともいえない仕合わせ感を送ってくれます。このごろは保冷剤や
冷えピタタオル、凍らせたペットボトルといったすぐれものもたくさんあり、お昼は至福のひとときです。
そらあけ会の昼食風景
いつもみそ汁が供される「そらあけの会」のランチタイム


材木の値段が下がりに下がって、いまでは行政の補助なしには「林業」の継続がむずかしくなり、自立した
一次産業ではなくなってしまいました。とくに今年は、林野庁が策定してきた「森林・林業再生プラン」と
いう仕組みが実行に移されるので、補助金の査定方法が大きく変化することになりました。
いま、国産材シェアーは27%。政府はこれを50%まで高めよう、だからほとんどが林内に放置されている
間伐材を、作業道をもっと造ってひっぱりだしてきて使っていこう、減少一途の山仕事の技術者を「フォレス
ター」として育ていこう、小さな所有者同士が結託して集約施業をやって効率をあげよう、という選択です。

でも多摩の山は、小規模すぎる林地、険峻で岩地多い山、村人の林業離れ著しい土地柄、実現が難しいのです。
補助金は税金です。森林に手がはいれば、環境が整い、下流に市民にたくさんの恩恵が届く、補助金は最大の
効果を得られる形でいただきたいものです。
著者の草刈の様子
道脇の草刈りしながら山へはいる筆者

そんな林政事情は関係なく、春から夏への森林はいつもどおりとても賑やかでした。
トリたちは競い合ってなき、先月まではホトトギスが「特許許可局」という独特の鳴き方で自己主張をして
いましたし、オオルリやウグイス、このごろ増えたガビチョウ、キセキレイやヒヨドリもうるさいくらい。
名も知らないさまざまな鳴き方のトリたち。
でもいまは、セミしぐれにかき消されています。アブラゼミ、ミンミンゼミよりも「カナカナ~」のヒグラシが
いいですね。そしてここ数日やっとツクツクホウシが秋を告げ出しました。
日照りのあいまに大雨のきた今夏は、沢も水量豊富。ザワザワと、一刻も早く流れ落ちたいと競っています。
ハチも多くて、わたしはすでに2回も刺されてしまいした。
大災害のあとでも変わらない多摩の山です。自然の力をうまく利用していくのが林業です。

初秋!ようやく下草のしげりが止まってきました。

五日市の街路樹
最寄り駅五日市の街路樹「サルスベリ(百日紅)」が満開

シュウカイドウ
シュウカイドウが咲き始めました

山ホトトギス
ヤマホトトギス

キノコ
名前を知らないキノコ

ヒノキ林
見学コースのヒノキ林 樹齢55年
  1. 2011/08/23(火) 09:43:49|
  2. 山からの便り
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山からの便り その4

ミツマタ その1
山からのたより その4
                                  池谷キワ子

林業を多摩地域で営んでいます。
そのなかで、日頃感じたり考えたりしていることを書いています。

3月11日、たいへんな災害が東日本を襲いました。多くの人命が失われ、伴って起きた原発事故が
陸も海も汚染してしまいました。わたしたちは歴史的な転換を迫られています。東北という地域がど
んなに日本中を支えていたかも初めてわかりました。
この災害をけっして忘れることなく、将来に生かさなければなりません。
わたしたちだれもが、いまその存在を問われてもいるのでしょう。

そんな中でも、季節は巡ってきました。春到来の山のようすです。
ミツマタ その2
このミツマタは4月11日の裏山のもので、和紙の原料として昔日に植えたものの子孫が生き残っていたものです。
近くの軍道という集落は、「軍道紙(ぐんどうがみ)」が家内工業として栄えたところで、コウゾ、ミツマタ
の皮が原料でした。私の家にも昔は軍道紙がたくさん蓄えてあって、障子紙にしたり大事な書き物に使ったり、
浅黒くて丈夫な紙でした。コウゾはカズとも呼んで、明るい林地に“にょきにょき”生えてすぐ大きくなり、
いまでは邪魔ものの木となっています。
一方ミツマタ和紙は、コウゾより白さは勝るけど、木の生命力はさほど強くないようです。
ここは藪に閉ざされていてわからず、昨年、群生して残っているのを発見しました。開花する4月上旬は、
まだ山の春は浅く、林床のみどりもわずかです。

龍珠院からの眺め
この写真は、「龍珠院」からの眺めです。
4月も中旬を過ぎると急に、山の広葉樹林帯はさまざまな芽吹きに彩られ、集落の家々もミツバツツジの紫や
ヤマザクラのやわらかなピンクで覆われます。人工林の濃い緑色との対比がくっきりしています。
この日は春の靄がすこしあって、残念な写りですが。

龍珠院
「龍珠院」というわたしの幼馴染の生家は、花のお寺として名を馳せていて、例年4月の第三月曜の「そら
あけの会」活動日には、その時期の仕事、竹林の間伐を早く切り上げて、春の息吹を堪能しにいきます。

養沢のイタヤモミジ

養沢という山峡の集落は、80軒余りの家が養沢川沿いに2㌔程続いています。ここは集落の入り口付近です。
真ん中の淡い黄緑色はイタヤモミジの花です。下のほうに養沢川がちらっと見えて、その向こうの建物が
「ささんた小屋」。森林ボランティアのみなさんにくつろいでもらう拠点、夏には「ボランティアステーシ
ョン」という身障者をふくむグループがキャンプをしているところです。

養沢は人工林率が80%ぐらい。地名がしめすとおり、多摩の中では比較的地味が豊かで人工林が多い地域です。
今では人工林化し過ぎといわれ、経済価値の低くなった人工林のスギ・ヒノキは、集落の住人からも敬遠され
がちです。以前はほとんどの人が山の仕事で生活していましたが、いまでは遠い町への通勤族がほとんどとな
りました。でも人工林は、先代の人たちがいつくしんで守り育てた木々です。
大事にしたい、役に立たせたい、そして、人工林にかぎらずすべての森林をよい状態にすること、これがわたし
に課せられていることなのです。
  1. 2011/04/25(月) 22:02:27|
  2. 山からの便り
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哲学者の内山節さんからの呼びかけ

<山からの便り>を書いて下さる池谷さんを中心とされる森林ボランティ
アのお仲間の方から、池谷さんからのメールを私に転送すことを躊躇した
けれど、機会があれば情報提供お願いします、というメールが届きました。

以下、誰しもが被災地の復興を願っていることと思い、此度の呼びかけ人
の内山氏の復興支援の強い願いのこもった文は誠に恐縮ながら省略させて
頂き、ご案内文のみをひろい上げ掲載させていただきました。 白井
 
-------------------------------------------------------------
私の所属する「森づくりフォーラム」という、森林ボランティアを支える
団体の代表理事で、哲学者の内山節さんから下記の呼びかけがありました。
賛同なさるようだったらぜひ、実行してくださいますようお願い申し上げ
ます。                     池谷キワ子
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    東日本大震災で亡くなった人々を、みんなで供養しよう

―亡くなられた方々の冥福を祈る日を
みんなでつくりだすことを呼びかけますー 
                 最初の呼びかけ人・内 山 節

  日時:2011年(平成23年)4月24日(日)

この日にそれぞれの場所、それぞれの方法で亡くなられた方々への冥福を
祈りましょう。また12時正午にはみんなで祈りを捧げたいと思います。

ご自身の信仰をおもちの方はその方法で、また他の方々はそれぞれが思い
ついた方法で、全国津々浦々でみんなが送る日にしたいと思います。

この度の大災害で亡くなられた方々に対してはすでにご遺族の方々などの
手によって、精一杯の供養がおこなわれたことだろうと思います。
しかしその一方で、ご家族が全員亡くなられるなどして、誰にも送っても
らうことができないでいる人たちもおられると思います。亡くなられた方
々を十分に追悼することなく、未来を語ることに私はためらいを感じます。
私たちの役割はこれからも持続的な支援活動を続けながら、被災地の復旧、
復興に協力していくとともに、この直接、間接的な活動を通して社会とは
何か、社会はどうあるべきか、暮らしや労働をどう変えていったらよいの
か等を捉え直し、日本の社会を再生させていくことだろうと思います。
その意志を示し、未来への歩みをすすめるために、みんなで東日本大震災
で亡くなった方々を供養する日を設定することを呼びかけます。

  1. 2011/04/21(木) 14:44:06|
  2. 山からの便り

山からの便り その3 林業の現場から

そらあけの会のメンバー
そらあけの会のメンバーです。枝打ち講習の先生とたき火を囲んで

山を守るということ ~林業の現場から~
                                  池谷キワ子

林業を多摩地域で営んでいます。
そのなかで日頃感じたり考えたりしていることを書いてみたいと思います。
今回は市民との交流についてです。

私の家は180町歩(㌶)所有林地で、多摩の中では中位の規模です。
それでも20年前の父からの相続の後、専従の作業員を雇える状態ではなくなってしまいました。ここ
10年、ある程度のまとまったエリアの木をみんな伐る「皆伐(かいばつ)」での伐採をしてきていま
せん。材価が下がって、伐採適齢林を伐ってもほんのわずかな代金しか手にできなくなったからです。
それで、17年間、森林ボランティアの方々に手伝ってもらったり、国からの補助金を最大限利用したりで、
なんとか山の手入れを続けてきました。

私の代になった当初には、ひとりだけ残っていた作業主任の「ユウさん」ですが、ボランティアを受け
入れると聞いて、「素人がどんな手入れをするのか、今まで良材をめざして丁寧に育ててきたのが水の
泡だわ」と反対でした。でも、とびきりのOLリーダー嬢に「ユウさん教えて!」とせがまれたり、鉈(なた)
一振りで切り落とす枝打ちを見て「すごーい」と感嘆のことばを貰うと、ユウさんはすっかり森林ボランティア
と仲良しになってしまいました。
枝打ち鉈の砥ぎ具合を見てもらう
枝打ち鉈の砥ぎ具合をユウさんに見てもらう林土戸のメンバー。
近ごろはのこぎりで枝打ちしています。

「林土(りんど)戸(こ)」「そらあけの会」などのグループはずいぶん長く通って来てくれました。
春は雪起こしや竹間伐、夏は下草刈り、秋冬は枝打ちと間伐です。
枝打ち中。梯子に登って4メートル!
そらあけの会が枝打ち中。梯子に登って4m程の高さまで枝を伐ります

この頃は幼齢林が無くなったので、夏は道路縁刈りや山道づくりをしています。ボランティアグループは
様々な立場の人がゆるやかなつながりの輪をつくっていてとても和やか雰囲気です。
わたしもその一員としてずっと一緒に作業してきました。たぶん「環境に貢献」というだけでは継続はしな
かったでしょう。

多摩林業地の役目は、大都会市民に森林を理解してもらうエリアなのです。
そこでわたしは、家のすぐ裏山に見学コースを造りました。
山の案内コースで説明する製材業の田中さん
山の案内コースで説明する製材業の田中さん

親子三代に渡って木を育てる林業はどんなものなのか、大昔から人々はどんな風に森林を利用し恵みをもら
ってきたのか、たくさんの生命体が食物連鎖のピラミッドを造って生きている森林というフィールド。
四季折々に咲く野の花や生き物に出会い、森のフィトンチッドの浴びる気分のいい場所、と、一巡すれば体感
できるところとして、ゆっくりと散策していただけるようになっています。
羽村市子供会。沢のお掃除と体験間伐。
羽村市子供会がそらあけの会指導で沢のお掃除と体験間伐。
森林インストラクターから森のお話しも聴きました。

スギヒノキ材をもっと利用してほしい、外国の山を裸にし、砂漠化させながら、国産材が使われない
ために日本の山が荒廃しているという現実。
もっと日本の木を使ってもらって、森林を伐採したらまた次の木を育てていく、再造林といいますが、
山を持続可能な資源としてつなげていきたいのです。

建築用材を育成するだけでなく、山菜を育てたり蔓を採集するといった様々な形で林地を活用していく
ことが、山の整備保全が進むことにつながっていき、伝統的な日本の木の文化や技術を守って、雇用促
進にもなるのですから。
  1. 2011/01/03(月) 18:39:26|
  2. 山からの便り

山からの便り その2

山を守るということ ~林業の現場から~初夏の山
初夏の山
秋の山
秋の山
冬の山
冬の山

東京都あきる野市で林業を営んでいます。
そのなかで、日頃感じたり考えたりしていることを書いてみたいと思います。

上記の写真の山は養沢という、私達のフイールドの入り口の山で、見える林地は我が家の所有ではありません。
広葉樹の天然林と針葉樹であるスギヒノキの人工林が、春秋にははっきりと分ります。

さて、山はさまざまな働きをもっていて、とても総合的な存在であると誰もが知っています。その日本の大事
な自然、大切な資源である森林をどう未来につなげていったらいいか、みんなでしっかり議論を深めていかな
くてはならない時になっています。
林業が衰退し、山菜など山の恵みも畑で作られ、人々が山に入らなくなって、森林が荒廃してきたからです。

戦時中、林木の伐採、特に人工林がたくさん伐られはげ山が増えてしまった。
洪水が起きたりしたのに、復興期の家づくりのため材木需要が高まって伐採が増え、材価も高騰しました。
そのため国は緑化を強力に推進し、日本の森林の40%にあたる1000万ヘクタールの人工林ができました。
それらが今成熟してきて、伐採の時期を迎えてきています。

しかし、ここ2,30年は材価の下落が進み、林業は長い不況のトンネルに入ってしまったため手入れが滞って
きてしまいました。外国から関税なしで丸太が輸入され、為替格差などにより、日本における外材のシェアー
が80%以上になったのもひとつの原因です。(昨年は73%に少し下落)
外国の木は天然林が多く、大径木で利用しやすく、家づくりもツーバイフォーなどプレカットをして建てる
方向に進みましたから、長い歴史を持つ伝統的な在来工法で国産材を使っての家づくりをする方法は、
ハウスメーカーからおいてきぼりにされてしまいました。

でも日本の山のほとんどは、人が手を入れてきた二次林です。
天然性の広葉樹林といっても、薪炭をつくり、落ち葉を肥料にするため、コナラ、クヌギ、シデなどの有用な
広葉樹を選んで残してゆき、萌芽更新(切り口から自然に出る芽を育てる)により持続的に森林を守ってきま
した。

人工林の方は、スギ、ヒノキなどの苗を植えて育成し、皆伐または択伐(利用間伐)しては跡地に再造林する
ことで、持続可能な方法で健全な森林状態を保ってきました。どんな森林も手入れが絶対に必要なのです。
そっとしておいていいのは純天然林の白神山地や知床の森だけです。

健全な森林は「森林生態系の健全性と地力などの活力の維持」といわれており、手を入れて初めてあらゆる
森の機能がちゃんと作動します。それらは水源涵養、CO2の固定、国土保全、動植物の住まい、人への保
健機能、雨を育み気温をマイルドにし風を防ぐ、などたくさんありまね。元気な森林が上流にあることは、
下流のわたしたち都市の人々の生命線になっているといってもおおげさではないのでしょう。

そしてさらに無垢の木を家づくりに使うことは、木材の持つ調湿作用が働き、人の健康に快適に作用しますし、
CO2を吸った木は、それを炭素として固定したままでいます。

日本の山は、地形がデリケートで起伏ある山ひだを持ち、気候的にもさまざまで、土壌も変化に富んでいると
いう豊かな表情を持っています。そして山林の3分の2は民間の所有で、その形態も複雑になっています。
森林の育成には何世代もかかるものですから、それら日本独特の山の条件を踏まえて、先を見つめた広い視野に
立つ国の政策が何より大事と私は考えています。
                                       池谷キワ子

  1. 2010/11/05(金) 17:48:17|
  2. 山からの便り

山からの便り その1

樹齢140年の樹
山からの便り その1
                                  池谷キワ子

私の家と所有の林地は、東京都あきる野市養沢というところにあります。
正確に言うと私は、今は夫と調布市に住み、養沢の家は生家です。
林業を父から引き継いでいから20年、週に数日1時間余かけて通っています。

写真は家屋敷に隣接する裏の山で、わずかなエリアですが140年生の木々(スギヒノキ)が残っています。
私たちが通常「やま」と呼んでいるのは「林地」という意味あいで、それもこのあたりは里山ですから、
「やま」は1ヘクタールどころか、一反(約300坪)とか一畝(約30坪)のような小区画が多いのです。

で、この「やま」は右手上部にある小さな神社の鎮守の森にもなっていて、伐りだしやすい場所でもあるため、
この樹齢まで珍しく伐られずに生き延びてきたのです。
写真でみるととても140年経った樹木にはみえませんね。

中央の沢沿いに奥へ延びている小道は、以前は山の銀座通りで、たきぎを背負った人が行き交っていました。
140年前といえば、わたしの曽祖父のまたその祖父であった次郎兵衛じいさんが、初老期だった明治初年ごろ
植え付けたことになります。
ギバナアキギリ

小道の両脇にはキバナアキギリ、ヤマホトトギス、イヌショウマ、ミズヒキ、シュウカイドウなどたくさんの
花々が、ついせんだってまで咲き誇っていました。
ムササビの巣穴樹木やリスの遊ぶ幹もあり、いのちが多く感じられる林地です。
                             
  1. 2010/10/17(日) 17:34:39|
  2. 山からの便り

山からの便り はじめに

山からの便り 
                            
日本の自然~森林について~

名古屋大学名誉教授の只木良也先生の<森はいきている>という文章の中に、
「気候条件が豊かな緑に恵まれた森林の成立を許す国土、そこに住む日本人は、それだけでも森林のない国々
の人より幸せである。だが、日本人の、自分たちの国土の緑の衣ともいうべき森林に対する知識は、決して豊
かとはいいがたい。そのために、いままでどれほど国土を損傷し、自分たちも損害をうけてきたことか。

日本人の森林に対する知識の低さは、森林が日本人にとってありふれた景色であったせいといってもよいであ
ろう。それは「空気のような」存在だったのである。「空気のような」とは、ふだんは身の回りにあって当た
り前、その有り難さには気がつかない。だが、それがなくなったら、という意味である。空気のような存在の
森林は、空気のように大切なのである。」

とあります。都会に住む私達多くの人は、日常の生活と森林との係わりを考えることなく生活をしております
が、“酸素”“水”“食料”といった生命環境に深く係わり、“建物”をはじめ、日本文化の基盤となる森林
の存在について、開発が進んだその現状について、誰もがその現状を知る必要があるように思っております。

今、私は全く森林についての知識がありませんので、興味を持ちつつ、時間をかけつつ、日本の森林について
知っていこうと思っております。
皆様にも、ご興味持っていただける方がいればと、このHPに興味の窓口を作ることに致しました。少しずつ進む
ページとなりますが、無関心から少しでも関心へ、と、心を向けながら作っていきたいと思っております。

さて、森林については立場によって様々な見方があり、奥山と里山とでも大きな違いがありそうです。
まずは、このページを作るにあたり、森林ボランティアを務める岡田さんを通して、女性林業家(育林家)の
池谷キワ子さんが、“森林事情”についての文章を四季折々に、書いて下さることになりました。

まずは第一歩として、どうぞこのページを読み続けて下さいませ。

  1. 2010/10/08(金) 16:01:52|
  2. 山からの便り
  3. | コメント:0
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